2011年9月16日金曜日

生まれ変わったとしても

生まれ変わったとして
たとえば
君が猫なら僕も猫になりたい

君が象なら
僕も象になる

なんでもいい
おんなじがいい

もどかしきこと

相手の愛情が収縮してゆくと
こちらの愛情は拡大してゆく

どうしてこんなに
うまくいかないのだろう

愛する人よ

おはようも
おやすみも
なんにもない

いただきますも
ごちさうさまも
きこえない

そういうことは
もうやめにしませんか

2011年9月1日木曜日

笑い話になればいいな


2011年新潟県は長岡の花火大会より

何かに身を寄せていないと飛ばされてしまいそうだ。
こんなにも突発的で、荒々しい風雨が吹いてくるなんて、至らない僕には考えもつかなかった。


これは台風の話ではなくて長く続いている僕の恋愛の話だ。

長い恋愛模様の中では、相手から愛してもらっているという実感が
感じられないこともままあるだろう。浮き沈みはあるだろう。
昔の僕はそれが分からず、いつも最高潮の「愛してる」を求めていた。
いつ何時でも高揚感のある、目に見える形の愛情を求めていた。

しかし時は流れ、いつしか僕も、温かな土壌的愛情を欲している事に気がついた。

僕はこれまで彼女に何度別れ話を切り出したか分からない。
別れようと思う原因は彼女にはなく、それはいつだって僕の問題だった。
僕個人のエゴと性欲なんかをロマンなどと言い換えたまがい物を、ことあるごとに倉庫なんかから取り出してきて、恍惚とした表情で眺め、一過性のそれを彼女に熱弁するのだ。

彼女からすればたまったもんじゃない。
その度に彼女は泣き、僕はそうした彼女の後ろ姿を「男ってもんが分かってねえな」等と、
どこか嘲るような格好でなだめ、そして時間が経つにつれまた二人は「いつもの二人」に戻っていった。

戻れた事は、実際当時の僕にとっては何でもないことがらだった。
普段はごはんを食べているけどパンがおいしそうだと思い、
パンを一時的に食べていたけどやっぱり僕はご飯なんだ、とでもいうように。

しかし今にして思えば戻る事が出来たなんて、ほとんど奇跡に近い事だと思う。
彼女の苦労と寛容さが今にして身に滲みる。

しかし、今回のように彼女の側から別れ話を切り出されるなんてのは、考えてもいないことだった。
ありえない、最初聞いた時にまず、そう脳裏をよぎった。
次に思ったのは自分はなんて馬鹿だったのだろう、ということだった。
驕り、過信、自意識過剰。
いつでも彼女の心は(どれだけ距離が離れていたとしても)僕に向けられていると思っていた。

僕はこれから、どうにか彼女の気持ちを、彼女の目を、僕に戻したいと思う。
そういった心持ちを、僕の心情を彼女に伝えたけれど、彼女は「もう疲れたわ」と言う。
「連絡をしてこないで」と僕に言う。
あとからこの文章を見たときに笑い話になればいいと本気で思う。
これだけ心から望む自身の笑い話は人生で初めてである。

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