「福井県に住む37才、二児の父」 書いている内容は基本的に、以下の内容が多いかと思います。 小説や詩を書くことまた、読むこと。 (創作活動を最近はしていない) 映画鑑賞関連。音楽を聴くこと、演奏すること、お酒を飲むこと、釣りをすること。 家族とのこと。 もしお時間があれば、コメントを書いて頂けると更新頻度が上がると思われます。
2012年4月24日火曜日
2012年4月18日水曜日
人を動かすもの 〜東北復興支援〜
昨日はちょっと驚いたというか、心を動かされたことがあったのでそのことを書く。
最近は職場で新人の講師を行うことがある。
昨日はM氏という新人男性の電話応対を監督する仕事だった。
これを(どの業界でも使ってる言い回しだけど)OJTと呼ぶ。
オン・ザ・ジョブ・トレーニングの略である。
M氏は実に腰が低く丁重であり、それでいてどこか人を公平に見ている節がある(そんな風に僕には感ぜられた)
年齢や、お客様各位の傾向などに対して分け隔てなく接していて、対応に卑しさがない。
僕は簡潔にいうと初見で好感を持った。ちなみに僕より八つぐらい年上だ。
僕が彼のOJTに就くのは、昨日が3回目だった。
さて業務が開始し一件、また一件とお客様を対応する。
そして毎回、今しがたの応対に関しての質疑応答を受けるのである。
僕「お疲れさまです、さてと、どうでしたか今回の件は」
M氏「ええ、まぁ、普通にできました」
僕「ところで今のお客様、宮城県は気仙沼の方でしたね」
M氏「あれからもう一年が経ちましたか。あの大地震から」と、彼はどこか遠い目をした。
僕「どうかしましたか、Mさん」
M氏「いえ、実は僕、生まれは青森なんで、やっぱり東北地方のことがいつも気になってて。
さっきのお客様にも、もう最近は大丈夫ですか、何か足りないものなど無いですか、とか声をかけようかとも思ったんですけどね」
僕「そうなんですね。でもお客様対応という観点から言えば、やっぱり普通に対応するのがベストだと思いますね。変に気を使う事は避けたい」
M氏「そうですよね、えへへ」
僕「東北と言えば先日、旧知の友人が僕の家に岩手県の日本酒、あー、あれはなんて名前だったっけな、ド忘れしちゃった、あれ、送ってきてくれたんですよ」
M氏「もしかして、南部美人のことですか?」
僕「そう、まさにそれです、Mさんも日本酒呑みますか?」
M氏「はい、まぁでも、最近は金銭的にも厳しいので焼酎を割って舐めてますけど」
僕「へー、麦ですか?」
M氏「芋にはまってます」
僕「そう、でその友人が送ってくれた南部美人の大吟醸が実にうまくてですね。友達と二人で冷やでガーッと勢いよく呑んでたら、俺よっぱらっちまいましてね、もうグデーンと仰向けになって、友人にかまわず寝ちゃって」
M氏「あはは、そうですか、その方はよくお酒を送ってくれるのですか?」
僕「そうですね、過去にも色々頂いてるんですけど、今回の日本酒は東北復興支援だって事で、送ってくれたんですよ」
と、ここまで会話をぽんぽんと続けてきて、突然M氏が下を向いた。
僕には何やら苦しそうに映ったので「大丈夫ですか、Mさん」と声をかけてみた。
M氏「ああぁ、ええ、ええ、大丈夫です。すません心配おかけして。
いえ、あれです、今の話を聞いて胸がすごく熱くなっちゃって。
そんないい、友人がいらっしゃるんですね。ダメですね歳を重ねると、涙もろくなるというか。
僕も何かしなきゃって思いました。思っててもなかなか出来ないんですよね、これが。ダメですよね、動かなきゃ。せめて、その友人の方にありがとうと、伝えてもらえませんか」
彼はそこまで一思いに話すと、体の奥の方からマグマのように沸き起こってきた熱い涙を溢れ出さないように周りに気をつかいながら、そっと左手のワイシャツで拭ったのであった。
僕はそんなM氏を見るともなしに見ながら、旧友がとった復興支援の方法に感服し、その旧友が贈ってくれた南部美人が辿った軌跡を思い、更には僕のみっともない酒の飲み方に関してを思い、最後に今や机に突っ伏して泣いている僕の知らないM氏の遠い故郷のことを思った。
僕「見えないけれど、どこかで、誰かが、誰かを支え合って生きているんですよね。
さぁMさん、次のお客様を助けてあげてください」
と、僕はいつになくクサい言葉を選んで投げた。
(この場をうまく回収するにはこのような言葉しか思いつかなかったのだ)
M氏「はい、どうぞ、よろしくお願いします!」
M氏は勢いよく次のお客様の電話応対に着手したが、どうやら呂律がうまく回っていないようだったので僕は声を殺して笑ってしまった。
会社の外ではビルに挟まれた小さな公園に咲いている桜の下で宴会をやっている大学生らしき声の大騒ぎが聞こえる。
2012年4月17日火曜日
2012年4月15日日曜日
2012年4月14日土曜日
もしも
もしもこの世界がパラレルワールドでらあったとしても、僕が僕ではなかったとしても、それはもうどちらでも良いことだ
身体や容姿がなにかを規定することはない
すべては意識の上に構築されているのだから
身体や容姿がなにかを規定することはない
すべては意識の上に構築されているのだから
2012年4月13日金曜日
2012年4月12日木曜日
さよならを言われて
さよならを言われて
理由も分からないまま立ち尽くしていた僕
雨が降ってて
傘をささずして
どこに向かう
「まずは体を温めて」
たいせつなことは
思っていなくても
またその場所に舞い降りてくる
理由も分からないまま立ち尽くしていた僕
雨が降ってて
傘をささずして
どこに向かう
「まずは体を温めて」
たいせつなことは
思っていなくても
またその場所に舞い降りてくる
2012年4月11日水曜日
2012年4月10日火曜日
2012年4月8日日曜日
無題
桜を見て悲しいと思ったり
太陽の明るさをとげとげしくて痛く感じたり
生きてるってことがもう分からなくなったりする
君が居なくなってからはそんなのばかりだ
桜を見て美しいと思っていたあの頃の気持ちは一体どこにいってしまったんだろう
そんなのってさみしいことだと君に言われた気がして、振り返ってみても誰も居ない
そこにはただ一陣の風が通った道筋が微かに見えるのみだ
太陽の明るさをとげとげしくて痛く感じたり
生きてるってことがもう分からなくなったりする
君が居なくなってからはそんなのばかりだ
桜を見て美しいと思っていたあの頃の気持ちは一体どこにいってしまったんだろう
そんなのってさみしいことだと君に言われた気がして、振り返ってみても誰も居ない
そこにはただ一陣の風が通った道筋が微かに見えるのみだ
花見についての省察 4月7日(土曜日)
今日の朝は大きな空がとても高くて、気持ちのいい快晴だった。
どれぐらいって、起床してあまりにも太陽が輝いていたから朝から何も食べずにカメラを持って散歩してしまったほどである。
(朝方の写真をいくつかUPしておきますね)
でも、花見を開始しようと思っていた午後あたりからどんどんと曇りだしてきて、お天道様はいつのまにか雲の後ろ側に隠れてしまい、暖かな花見というわけにはいかなかった。
埼玉県南部の柳瀬川駅付近で、N氏とYORIZOと僕との男三人で寿司だとか焼きそばだとか買い込んでいざ桜の下で花見をやり始めたはいいものの、時折横から刺すような冷たい風と日光が無いためとで早々に引き上げ、結果的に“宅呑み”となった。
(まぁそれはそれでもちろんいつも通り楽しかったのだが)
柳瀬川という河川は桜並木が有名らしく例年に続いて今年も沢山の人が居た。
みんなバーベキューをやったりおでんをつついていたりして、それも10人以上居る団体客が多くて驚いた。
(しかし、老若男女入り交じった10人以上の団体がグツグツと何かが煮えたぎった一つの大きな鍋を取り囲んでいる姿は壮観とも滑稽とも表現し難いものがあって思わず笑ってしまった)
河川の土手からそんなそれぞれの装備を見ていて「とてもしっかり用意してきてるんだなーすごいなあ」と感心した。
まず各自ブルーシートで陣地をとって、その上に段ボールなんかをしっかりと敷いて、卓上テーブルと簡易的な椅子と、ガスコンロから大きなクーラーボックスまで置いてある。食器なんかもシャレていて(僕らみたいに紙製じゃなくて)しっかりと陶器の器でご飯を食べている。
それから、寒さ対策としてニット帽や軍手、ひざかけ、座布団、毛布etc…などなど厳重に用意してきているのだ。
「僕たちも今度やる時は一度すべてを完全に整えてやってみような」
ってバーベキューや花見などで仲間たちと集まったときには毎回言ってはいるんだけど、どうしてもスケジュールがずれたり、いつの間にか気持ちが消沈していたりして、結局近場で総菜を適当に買ったりして呑んでいるわけで、今回も全くそのような感じになってしまった。
この点に関して僕は完全に学習能力が無いなぁ、と毎回思ったりする。
今日の気温は日中どうやら13度くらいだったようだけど、体感としては10度そこそこでは無いかと思った。
相方のYORIZOも「これじゃあ二月上旬だよ、二月」と言っていたしN氏もペットボトルのお茶を飲みながら「さっぶいっすねー」を連呼していた。
でもあれですね。たまには男三人でわいわい何かするってのも悪くないですね。
変に気も使わないし楽でいいや、今度来るときは厳重に装備を整えてやろう、と思いました。ちゃんちゃん。
2012年4月6日金曜日
ものを書くということに関して僕が書くことができること
ものを書くということに関して僕が書くことができることというのは、実際のところ限られてくる。
なぜって現時点での僕は、小説家でもなければ出版業界に携わっているわけでも無いからしてそもそもが業界全体のことを知らないし、ましてや〇〇大学の○○学科を出たわけでもないからして云々かんぬん…だから、である。
でもそこらあたりのまどろっこしい、実際に商業的に出版しているかどうかなんかはもうこの際抜きにして、少しでも思っていることを気楽に書き出していければこれ幸せである。
そして書き上がったそれを誰かが読んで何か感じてくれたり、また何も感じなかったとしてもその情景やらそこに書かれている心の移り具合なんかを見てもらえたらありがたい。
それに僕は日本の所々で自分の文章をポストカードにして販売しているんだし、詩に関して言えば携帯版のデコメにもなって、YORIZOと一緒にHantamaとして中学校で講演をやったり、個展を開いたりしているんだから(と、がんばって自身を鼓舞して)もっと自分の文章なるものに自信を持つべきなんじゃないかとも考えたりする。
そんなこんなで、やっぱり僕は書くことが好きなんだな、とここ最近よく思う。
書く作業をする場所は自宅やカフェなんかで、熱いコーヒーを右側において(右手でカップを掴むから)Macをぽちぽちと打って頭の中に転がっている言葉の一つ一つを文字に起こしている時の気持ちよさったら(これも表現が難しいけれど)ない。
なんていうか、ホームランを打った直後にランニングしているホームランランナーのことを思い浮かべて欲しい。
カキーンと打って歓声に包まれながら走って、走りながら色んなことを考えている、そんな男のことだ。
飛んでいった弾道のことを考え、今日のゲームの流れから打点を上げた現時点それから今後のゲームの動きを予測し、
同じチームのみんなのことや、さっき三振に終わった四番打者のことを考え、監督の横顔を思い、ホームベースをきっちりと踏むことを考え、昨日の女の子との情事を考え、故郷に多く雪が積もって地滑りを起こしていることなど、ひっちゃかめっちゃかに考えている。
男の頭はそんな色んなものに占有されてる状態だから足はもうほとんど自分の意志とは呼べないぐらいに無意識下におかれているけれど、
それでも交互に足を前後させ三塁を周り、風を全身で感じながらなんとかホームに戻ってくる。
小説や文章を書いている時ってのはもしかしたらそんな状態なのかもしれない。
頭の中は昂揚感に包まれたホームランランナーみたいにまるで雲の上にいるような感じなのに、手はしっかりとキーをタイプしている。
そういったもろもろを考えながら僕は書いているんだけれど、もしかしたらホームランランナーとなんだか似ている部分があるのかもな、と思いながら今日から始まった阪神巨人三連戦を横目で見ていた。
野球観戦もそうだけれど文章を書くというようなこういった高揚感が感じられる行為が僕は好きだ。
ちなみに余談だけど最近僕はiPhoneのフリック入力で文字を起こすスピードが昔に比べて格段に向上している。
だいたい、パソコンで打ち込む速度の半分くらいまではきた。
でもさっきのホームランランナーじゃないけれど、それでも半分のスピードだから、結果体で感じられる風の量も半分になってしまう。
あるいはフリック入力の速度をもっともっと上げなければならないなと(ぼんやりと)思ったりしている。
2012年4月5日木曜日
野球と鱈
ついさきほど横浜スタジアムで行われていた中日対DeNAの試合が終わった。
3−0で中日が新体制の横浜を下したようだ。
今日は休日だったので夕方から自宅にて、初めて買った「炙麦(せきばく)」という変わった名前の麦焼酎をお湯で割り割り呑んでいた。
そして、他局で行われている巨人対広島戦を観たりして、またその傍らで鱈の煮付けをコトコトと弱火で煮込みながら、左手で持ったお湯割りをぐびりとやって、たまにキャベツのキムチ漬けを口に運んだ。(なんで夜分においらはこんなに忙しい感じなのかは不明)
そもそも僕は野球が特別に好きというわけではなかったのだけれど
小さいときから4つ下の弟が少年野球などをやっていたためかこれまでに僕は結構な頻度で野球というものを観てきた。
小学生時代、例えば夏休みとかだって、弟は少年野球で朝早くから小学校で
あるいは中学になってからは中学校のグランドで「ファイットー、ファイットー」などとチームのみんなで声を掛け合って必死に頑張っていた。
そして僕はと言えば炎天下の中で一人、帽子を深く被りそれをただ観ていた。
大人になってからもN氏という野球好きの整体師と出会ってからは、たまに西武ドームにセパ交流戦などを観に行ったりしている。
野球というスポーツを観てて思うのは「これは球とバットとグローブを借りた人間ドラマだなぁ」ってことです。
監督の場面場面の采配や、バッターが打席に立ったときのあのなんとも言えない緊張感。
それにバッテリーの相性から、審判の判断に至るまで、じっと観ていると人間交差点じゃないけれど、様々な人間模様が垣間見えて思わず「あぁ奥が深いなぁ、野球っていいなぁ」と思ってしまう。
しかもいざ球場に足を運ぶと、ファンの方々の鬼気迫る応援に度肝を抜かれたり、カップルで来ている二人を見かけたりすると「あぁ、野球が好きな女の子っていいな」と羨ましく思ったりと何かと刺激を受けることが多い。
普段テレビに向かって声をかけてる選手を見ながら片手にビール、もう片手にはメガホンを持って(自分がそんなにめちゃくちゃなファンじゃなかったとしても)「かっ飛ばせー、あっらっいー」って応援団につられて声だかに言ってる時の高揚感ったら無い。
(もちろん「かっ飛ばせー、ぶぅらぜるっ」でも可。
はい、何を隠そう僕はにわか阪神ファンである)
なんでもそうだけれど、誰かと何かを一緒に懸命に応援したり、何かを共に打ち込んだりして共感するっていうのは実にいいことだなぁと僕は以前から考えている。
それはもちろんプレイしている選手の方々だって(例え仕事といえども)毎回とまではいかないかもしれないけど、高揚に包まれて抱き合ったり、拳を握って悔しがったり、互いに共有、共感していることだろうと思う。
それともう一つ野球に関しておもうことはビールがよく合うなーということ。
球場で呑むんだったら、銘柄は特に気にならない。
もはやなんでも(恐らく発泡酒だって)おいしく感じてしまうだろう。
球場はまるで魅惑のスパイスみたいに口に運ぶものをおいしくしてしまう。
ビールはもちろん、焼きそば、焼きうどん、それに普段は食べないポップコーンだってうまい。長岡花火大会会場で打上る花火を見ながらも思ったことがあるけれど、その場の空気や自分を取り巻く周りの情景が、なんでもないご飯をとんでも無くおいしい食べ物に変えてしまうことがある。だから「食事は空気もん」って言うのかな。
もちろん絶景にて、気の合う仲間と飯を食えれば例えそれがカップラーメンであったとしても、とてもおいしいんだろうなぁと、そのようなことを自宅にて鱈に汁をかけながら考えた23時であった。
3−0で中日が新体制の横浜を下したようだ。
今日は休日だったので夕方から自宅にて、初めて買った「炙麦(せきばく)」という変わった名前の麦焼酎をお湯で割り割り呑んでいた。
そして、他局で行われている巨人対広島戦を観たりして、またその傍らで鱈の煮付けをコトコトと弱火で煮込みながら、左手で持ったお湯割りをぐびりとやって、たまにキャベツのキムチ漬けを口に運んだ。(なんで夜分においらはこんなに忙しい感じなのかは不明)
そもそも僕は野球が特別に好きというわけではなかったのだけれど
小さいときから4つ下の弟が少年野球などをやっていたためかこれまでに僕は結構な頻度で野球というものを観てきた。
小学生時代、例えば夏休みとかだって、弟は少年野球で朝早くから小学校で
あるいは中学になってからは中学校のグランドで「ファイットー、ファイットー」などとチームのみんなで声を掛け合って必死に頑張っていた。
そして僕はと言えば炎天下の中で一人、帽子を深く被りそれをただ観ていた。
大人になってからもN氏という野球好きの整体師と出会ってからは、たまに西武ドームにセパ交流戦などを観に行ったりしている。
野球というスポーツを観てて思うのは「これは球とバットとグローブを借りた人間ドラマだなぁ」ってことです。
監督の場面場面の采配や、バッターが打席に立ったときのあのなんとも言えない緊張感。
それにバッテリーの相性から、審判の判断に至るまで、じっと観ていると人間交差点じゃないけれど、様々な人間模様が垣間見えて思わず「あぁ奥が深いなぁ、野球っていいなぁ」と思ってしまう。
しかもいざ球場に足を運ぶと、ファンの方々の鬼気迫る応援に度肝を抜かれたり、カップルで来ている二人を見かけたりすると「あぁ、野球が好きな女の子っていいな」と羨ましく思ったりと何かと刺激を受けることが多い。
普段テレビに向かって声をかけてる選手を見ながら片手にビール、もう片手にはメガホンを持って(自分がそんなにめちゃくちゃなファンじゃなかったとしても)「かっ飛ばせー、あっらっいー」って応援団につられて声だかに言ってる時の高揚感ったら無い。
(もちろん「かっ飛ばせー、ぶぅらぜるっ」でも可。
はい、何を隠そう僕はにわか阪神ファンである)
なんでもそうだけれど、誰かと何かを一緒に懸命に応援したり、何かを共に打ち込んだりして共感するっていうのは実にいいことだなぁと僕は以前から考えている。
それはもちろんプレイしている選手の方々だって(例え仕事といえども)毎回とまではいかないかもしれないけど、高揚に包まれて抱き合ったり、拳を握って悔しがったり、互いに共有、共感していることだろうと思う。
それともう一つ野球に関しておもうことはビールがよく合うなーということ。
球場で呑むんだったら、銘柄は特に気にならない。
もはやなんでも(恐らく発泡酒だって)おいしく感じてしまうだろう。
球場はまるで魅惑のスパイスみたいに口に運ぶものをおいしくしてしまう。
ビールはもちろん、焼きそば、焼きうどん、それに普段は食べないポップコーンだってうまい。長岡花火大会会場で打上る花火を見ながらも思ったことがあるけれど、その場の空気や自分を取り巻く周りの情景が、なんでもないご飯をとんでも無くおいしい食べ物に変えてしまうことがある。だから「食事は空気もん」って言うのかな。
もちろん絶景にて、気の合う仲間と飯を食えれば例えそれがカップラーメンであったとしても、とてもおいしいんだろうなぁと、そのようなことを自宅にて鱈に汁をかけながら考えた23時であった。
先輩の言葉
三日坊主とはよく言ったもので、まだ三日目だというのに
こんなにアルコールを飲んでしまった体では、うまく動かすことが実に困難である。
キーをうまくタイプ出来るか分からない、とまぁ、そんな夜もあるだろう。
とても眠い
とても疲れている
とてもやる気が出ない
もう書くことが無い
なんのためにやっているのか釈然としない
自分を、自分のやる気を削ぎ落す言葉や意思が
この世には、どうしたことかあふれているので、時に困る。
さて、つい先日友人が突然ブログを閉鎖していたのでtwitterで聴いてみたら
新しいブログに移行したとの回答を得た。
移るなら移るでダルビッシュみたいに報道陣を前に会見かなんかを開いて
しっかりと移籍先を示してもらいたいものだ。
彼は以前にも東京からこつ然と姿を消して、次に連絡をとった時にはなんと
地元大阪に戻っていた、なんてことがあった、そんな友人である。
正直に書くと、今回も「またかぁ」
「また僕に何も言ってくれずに去っていってしまったのかぁ」という
寂寞の思いが一巡し、感慨に耽った僕は少し戸惑ったものだった。
友よ、行くときはせめて声をかけてくれよな。
あんたもさみしい、僕もさみしい、こんな思いをお互いが持たなくたって
せめてどちらか片方だけでいいではないか。
昔、僕は中学生の頃はテニス部に所属していた。
一つ上の大下先輩がそんな僕を見かねてか、僕に言った。
「おい、お前、人のことちゃうぞ。
自分に言われてると思って聞いとけよ」
って、すました顔して僕に言った。
地元の福井県は名田庄村は山に囲まれているけれど、
それでも太陽は精一杯のオレンジ色で先輩の頬をそっと橙色に染めあげた。
その時かな、僕が『人のふり見て我がふり直せ』って言葉を頭ではなくて体で感じたのは。
先輩に言われたときは「こんちくしょうー、偉そうに」って、
なぜだか怒りに似た感情が先に体の芯の方に直接的に働きかけたのだけれど、
そのあとで冷静に考えて、やっと理解できた。
僕がされて嫌なことを、人にしないようにしよう、と。
人の行いをよく見て、自分に置き換えて考えてみよう、と
黄昏時の中、そう心に決めたのであった。
あれからもう13年ほど経ってるけど、何故だか先輩の言葉は心に深く横たわっていて
その場を他の何かにあけ渡そうとはしないようである。
こんなにアルコールを飲んでしまった体では、うまく動かすことが実に困難である。
キーをうまくタイプ出来るか分からない、とまぁ、そんな夜もあるだろう。
とても眠い
とても疲れている
とてもやる気が出ない
もう書くことが無い
なんのためにやっているのか釈然としない
自分を、自分のやる気を削ぎ落す言葉や意思が
この世には、どうしたことかあふれているので、時に困る。
さて、つい先日友人が突然ブログを閉鎖していたのでtwitterで聴いてみたら
新しいブログに移行したとの回答を得た。
移るなら移るでダルビッシュみたいに報道陣を前に会見かなんかを開いて
しっかりと移籍先を示してもらいたいものだ。
彼は以前にも東京からこつ然と姿を消して、次に連絡をとった時にはなんと
地元大阪に戻っていた、なんてことがあった、そんな友人である。
正直に書くと、今回も「またかぁ」
「また僕に何も言ってくれずに去っていってしまったのかぁ」という
寂寞の思いが一巡し、感慨に耽った僕は少し戸惑ったものだった。
友よ、行くときはせめて声をかけてくれよな。
あんたもさみしい、僕もさみしい、こんな思いをお互いが持たなくたって
せめてどちらか片方だけでいいではないか。
昔、僕は中学生の頃はテニス部に所属していた。
その時たまたま僕は、先生にこっぴどく叱られているA先輩のことを見て、
「ああー、怒られてる怒られてる。ひゅーひゅー」なんていって騒いでいたら
一つ上の大下先輩がそんな僕を見かねてか、僕に言った。
「おい、お前、人のことちゃうぞ。
自分に言われてると思って聞いとけよ」
って、すました顔して僕に言った。
地元の福井県は名田庄村は山に囲まれているけれど、
それでも太陽は精一杯のオレンジ色で先輩の頬をそっと橙色に染めあげた。
その時かな、僕が『人のふり見て我がふり直せ』って言葉を頭ではなくて体で感じたのは。
先輩に言われたときは「こんちくしょうー、偉そうに」って、
なぜだか怒りに似た感情が先に体の芯の方に直接的に働きかけたのだけれど、
そのあとで冷静に考えて、やっと理解できた。
僕がされて嫌なことを、人にしないようにしよう、と。
人の行いをよく見て、自分に置き換えて考えてみよう、と
黄昏時の中、そう心に決めたのであった。
あれからもう13年ほど経ってるけど、何故だか先輩の言葉は心に深く横たわっていて
その場を他の何かにあけ渡そうとはしないようである。
「おい、お前、人のことちゃうぞ。
自分に言われてると思って聞いとけよ」
だから僕は、自分がされて嫌なことを、人には極力行わないようにしているのである。
2012年4月4日水曜日
五枚のアルバム
西から駆けて来た風は、東へ抜けて北上した。
風の強い一日だった。
吹きつけて、去っていった。
今日は仕事上がりにYORIZOと会って、少しの間ピエロと無邪気に戯れてから
いつものゴールドラッシュ(ハンバーグ屋)に行ったら、なんと、
強風のために早く閉店しましたと張り紙がある。
直接的な原因が強風のためなのか、それとも社員たちの働くモチベーションに
よるためなのかはっきりしなかったが、二人で顔を見合わせ、結局、花田に行った。
僕「なんで閉まってんねん」
Y「ねー」
僕「おかしいやろ」
Y「そだねー」
僕「しゃーない、花田でもいきまひょかー」
Y「ねーっ」
花田とは僕らがよく食べにいっていたラーメンとつけ麺の店だけど、
(もう一年ほど前ぐらいになるだろうか)その名も花田店長が
店内からこつ然と姿を消してからというもの、
味とサービスとがガクンと音を立てて下がってしまったため、
現在ではあまり近寄らないようにしている間柄、とまぁ、そんなラーメン屋である。
よりさんが瓶ビールをおごってくれたので二人でカウンターでサントリーのラガーをぐいっとやった。
見たことの無いラベルのラガーだったけどおいしかった。
どことなくクラシックラガーより爽やかなんだけど、モルツよりも味わいが深かったので、僕は味と質の落ちてしまった花田を少しだけ見直したのだった。
僕「これうまいですわ、ありがとうございます」
Y「ねっ、おいしいね」
僕「みたこと無い種類ですわ」
Y「ねっ」
と、まぁこの様なやりとりがいつもの二人の基本的構図(会話)である。
上の通り、よりさんはよりさん的にいつものように同調し、僕は僕で勝手に思ったことをぽんぽんと話していて、それで僕としては「なんだかここちよい」という図式が展開されてるな、よしよし今日も楽しいではないか、楽しいではないか、と心の中で(昔のお殿様みたいに)思っていたりするのだが、まぁそういったことは彼には直接伝えたことはあまり無い。
なぜって、比較的オープンな性格の持ち主であるこの僕にだって
照れというものは少なからず持っているわけで、それからそれからetc …
ということであるからして、仲良くやらせてもらっているという次第だ。
辛味噌ラーメンを胃袋にどさっと流し込んで、で、どっと出てきた汗をティッシュでぬぐって、よりさんがちょっと疲れた顔して僕に言った。
Y「久々にダーツでもいこっか」
僕「そうっすね」
Y「一時間ぐらいでも、どうかな」
僕「いいっすねー」
よりさんが提案して僕が同調するパターンだって存在する。
そりゃそうだ、そういう相互補完的な関係性が無いと(そしてそれを二人が言葉にしなくてもどっかで分かっていないと)こうして七年も一緒に創作活動や友人関係をやってこれなかっただろう、と僕は思ったりする。
それに、なにを隠そう、YORIZOは僕より10コほども年上なのである。
実際そのような諸々を彼がどのように考えているかは、正直なところ僕は彼ではないので分からない。
でも、分からないなりに、分かったりすることがある。
そして、もしかしたら、その人自身(ここで言う所のよりさん)よりも僕の方が、彼に関して説明できる事柄や事象が多いという可能性だってあるわけだ。
逆に僕には説明が出来ないような、自分自身の行動や心理的な変化などを
彼がポンッと提示できてしまう、なんてこともあるのだろう。
そのあたりの所を、今夜は音楽から導き出すとするか。
さてさて、今しがた借りてきた以下の五枚のアルバムの、どれから手を付けようかな。
辻井伸行「ムソルグスキー: 展覧会の絵」
Jason Mraz「We Sing, We Dance, We Steal Things」
斉藤和義「Golden Delicious」
eastern youth「旅路二季節ガ燃エ落チル」
Rumors Ambient Project「究極の眠れるCD」
2012年4月3日火曜日
スーパープレゼンテーション
つい今しがた部屋でぼーっとしていて
「あっ、ウィスキーを呑もう」と思って居間にとりにいって、
換気扇の下でタバコを吹かしているとき(厳密に言えば吹かす前)
って、詳しく書くほどのことじゃないけど、
たまたまテレビをつけたら日テレが映った。
スーパープレゼンテーションって名前の番組で、
欧米の白髪おじさんが箱を使ったプレゼンを大勢の客の前で行っていた。
僕は夜のこんな時間は(11時頃)いっぱしのビジネスマンが風呂から上がってきて
居間かどっかで足をソファーかなんかに放り投げてくつろいでいて
テレビでも見てる確率高そうだなーなんてこと考えながら見てた。
かくいう僕もプレゼンとか、話術とか、なんかそういった
「一個人が余りある熱量を持って話をする行為」が格別に好きだから
ちょっと見入ってしまって、結果、ハマった。
とても面白かった。興奮した。
アイムエキサイティング、ワズ。
このテレビ番組と、普段テレビを見ないこんな僕とが出会う確率といったら、
それこそエンパイアステータスビルの屋上から無造作に放り投げた紙飛行機が
たまたま良い感じの気流に乗って日本列島にまで辿り着いた、
と表現しても過言ではないような、本当に小さな確率なわけで
僕は持っていたリモコンの音量を30あたりから一気に50まで上げて、見た。
熱弁していた初老の欧米人はハンス・ロスリングさんという人で、
昔は何やら「国境なき医師団的」な活動を行っていたが、
いつしか地球規模で人の看護に当たる活動を専門とするようになり、
ひいてはプレゼンとそのプレゼン力あるいは独自の視覚的かつ
独創的な「表(チャート)」が受け、イギリスの由緒あるテレビ番組が彼専用に
なんらかの番組を作った(そのすごさは僕には分からなかったが)ほどの
人物であるとのことだった。
まぁなんせ、僕がここで書きたいのは
「人間が熱を持って誰かに何かを説明している、という行為の素晴らしさたるや」
という点であって、彼らがどうこうとかではない。
(しかし牛丼に添える紅ショウガ的に書くならば、勿論彼らのトークは秀逸だった)
熱意は外から与えられるもんじゃなくて、自分の中にあるもの、
つまりはもともと内在しているものじゃないか、と思う。
(初期段階ではそれは外界からのコネクションによって
誘発されることもままあるとは思うけど)
それをいくつ見つけられるか。
あるいはそれを見つけた上でどれだけそれに打ち込めるか。
そういった観点から人生の素晴らしさなるものが決まってくるのではないでしょうか、と
提案して今日は普段よりも早めの就寝を迎えることにすっべか。
「あっ、ウィスキーを呑もう」と思って居間にとりにいって、
換気扇の下でタバコを吹かしているとき(厳密に言えば吹かす前)
って、詳しく書くほどのことじゃないけど、
たまたまテレビをつけたら日テレが映った。
スーパープレゼンテーションって名前の番組で、
欧米の白髪おじさんが箱を使ったプレゼンを大勢の客の前で行っていた。
僕は夜のこんな時間は(11時頃)いっぱしのビジネスマンが風呂から上がってきて
居間かどっかで足をソファーかなんかに放り投げてくつろいでいて
テレビでも見てる確率高そうだなーなんてこと考えながら見てた。
かくいう僕もプレゼンとか、話術とか、なんかそういった
「一個人が余りある熱量を持って話をする行為」が格別に好きだから
ちょっと見入ってしまって、結果、ハマった。
とても面白かった。興奮した。
アイムエキサイティング、ワズ。
このテレビ番組と、普段テレビを見ないこんな僕とが出会う確率といったら、
それこそエンパイアステータスビルの屋上から無造作に放り投げた紙飛行機が
たまたま良い感じの気流に乗って日本列島にまで辿り着いた、
と表現しても過言ではないような、本当に小さな確率なわけで
僕は持っていたリモコンの音量を30あたりから一気に50まで上げて、見た。
熱弁していた初老の欧米人はハンス・ロスリングさんという人で、
昔は何やら「国境なき医師団的」な活動を行っていたが、
いつしか地球規模で人の看護に当たる活動を専門とするようになり、
ひいてはプレゼンとそのプレゼン力あるいは独自の視覚的かつ
独創的な「表(チャート)」が受け、イギリスの由緒あるテレビ番組が彼専用に
なんらかの番組を作った(そのすごさは僕には分からなかったが)ほどの
人物であるとのことだった。
(それからその後に映した、
マット・カッツさんの「30日間チャレンジ」も面白かった)
まぁなんせ、僕がここで書きたいのは
「人間が熱を持って誰かに何かを説明している、という行為の素晴らしさたるや」
という点であって、彼らがどうこうとかではない。
(しかし牛丼に添える紅ショウガ的に書くならば、勿論彼らのトークは秀逸だった)
熱意は外から与えられるもんじゃなくて、自分の中にあるもの、
つまりはもともと内在しているものじゃないか、と思う。
(初期段階ではそれは外界からのコネクションによって
誘発されることもままあるとは思うけど)
それをいくつ見つけられるか。
あるいはそれを見つけた上でどれだけそれに打ち込めるか。
そういった観点から人生の素晴らしさなるものが決まってくるのではないでしょうか、と
提案して今日は普段よりも早めの就寝を迎えることにすっべか。
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