2011年3月31日木曜日

彼女に逢いにゆく



僕が現在住んでいる場所は埼玉県南東部に位置する富士見市である。

東武東上線のみずほ台駅からすぐの所に在るこのマンションに
弟と二人で住んで、もうかれこれ二年と四ヶ月が過ぎ去った。

彼とはたまに喧嘩もするけど(それでも僕の方のパワーバランスが強すぎて、
しっかりした"喧嘩の形"にはならない、ってしっかりした喧嘩ってなんだろ)
それでも普段は本当に仲良くやっていて、僕としては充分に満足している。


まぁ正直に言ってここまで和気あいあいとした兄弟関係っていうのも、
世の中広しとはいえ、そうは居ないだろうと自負している。

おっと、話が"兄弟"に行ってしまった。
"彼女"の話を書こうと思ってたんだった。


4月1日の金曜日。
僕は夜行バスに乗って、彼女が住む福井に一時帰省予定。
(バスは予約済み。帰りの新幹線はその日に乗り込む)

彼女とは今年の夏で八年目を迎える。
紆余曲折あったけど、おかげさまで今ではなんとかうまくやっている。

恋愛の形としては一般的に言う所の、遠距離恋愛ってやつだな。


その日、彼女と僕は、顔を見て話をして、どこかに行って、
ここには到底書けっこないような卑猥なことをする。沢山。
その為だけに帰省して、そして僕はヨボヨボと岐路につく。予定。


こんな"嘘"みたいな本当の話が、
今の僕にとってはとても楽しみである。

そういう意味においても、僕を楽しませてくれる
彼女という存在を大切にしなければならないな。

これからも末永くよろしくな。大切にするからな。

2011年3月23日水曜日

DJ.ibukijohn Vol.2

下記に貼りつけたものは、僕が今回作成した"DJ.ibukijohn Vol.2"です。


"Vol.2"があるんだから当然"Vol.1"も存在するわけだけど、
実は"1"にはP!NKの曲が入っていて、それが著作権保護の為にUPできなかったんだ。

そうした理由でやむなく"2"から、という運びです。

僕が声だかに叫ぶまでもなく、音楽は素晴らしい。


音楽で空腹は満たされないけれど、生きる糧に、希望にはなりえる。

多種様々な音楽が混在する中で、それを一つのボールにポーンと放り込んで、
僕という名のコックがチャチャッと調理した。好きな食材を適当にチョイスして。

そんな感じの"DJ"風の楽曲の並び、時間があったら聞いて頂ければ、これ幸いです。
コメントもお気軽に頂けたら、これまた嬉しいです。



DJ.ibukijohn Vol.2 by ibukijohn

1:Escape Velocity The Chemical Brothers
2:Another World The Chemical Brothers
3:Life In Technicolor ii Coldplay
4:Flashing Lights Kanye West Feat. Dwele
5:Sexy Love Ne-Yo
6:The Way You Move Feat. Sleepy Brown Outkast (Big Boi) Feat. Sleepy Brown
7:Early Morning sound designed by BEAMS RECORDS
8:E-Mac (Interlude) Outkast (Big Boi)
9:Wonderful Night   Feat. Lateef Fatboy Slim
10:Born Slippy (Nuxx) Underworld
11:Swoon The Chemical Brothers
12:Mas Que Nada Sergio Mendes Feat. The Black Eyed Peas
13:The Remedy (I Won't Worry) Jason Mraz
14:Maybe Tomorrow Stereophonics
15:Idioteque Radiohead
16:Love You Long Time John Scofield
  サクラブラザー英語版   Hantama:YORIZO

2011年3月21日月曜日

お風呂に関しての考察




















国難とも言えるこの非常事態において、お風呂に関する内容の文章をしたためれば、
「この人はなんて不謹慎なのだろう。もっと他に書くべきことがあるのではないか」
と非難される事は甚だ承知の上で、つらつらと書いていく。脇目は振らない。

僕はどちらかと言えば『お風呂につかる』という行為を
(そのような組織的な分別があれば、の話だが)肯定する派閥に入るだろう。

普段はシャワーだけでササッと片付けてしまうのをグッと堪えて、
一週間に一度くらいの頻度でお風呂のお湯を半分程まで張って、全くの無音の中、
一時間程じっくりと浸かっている。

それこそ、即席のきゅうりの塩漬けのように。
(余談だけど、きゅうりの塩漬けってなんであれだけ飽きがこないんでしょうね?)

その際お湯の中で体を動かす事は基本的にしない。
ただ黙々と、比較的ぬるま湯の中に、ただ居る。
誰かと一緒に風呂に入るわけではない。
だから基本的に僕はある種の仮定的なもう一人の自分と対話をすることになる。

話の内容は実にくだらない事だ。
ここに書くまでもないことだが、記しておけば後ほど自身の27歳時点での備忘録として機能する事は確かだし、僕の事をより深く知りたいという稀有な人が居たとしたら、見えないその友人の為にも書くべきであろう。

例えば「この風呂をあがったあとで、何を食べるか」ということ。
それから「何を飲むか」ということ。(しかしあるいは生きていく上では切実な問題でもある)
または「会社で起こったなんらかの出来事に関して」「人との関わりや、今後の展望」
あるいは「僕の人生の今は何小節目くらいだろう(吉田拓郎のうた)」と、いうことなどetc...

まぁ端的に言い切ってしまえば、それぞれが馬鹿に出来ないことであり、
そういった「この時代に生きているからこそ、頭を悩ませる数々の事象」は、
すべて愛おしいことなのだ。それは、分かっては、いる。

しかしながらそれは反面、時として実に煩雑であり、逃げ出してしまいたくもなる。

仕事に行って帰ってきて眠り、また次の日に起きて、また仕事に行って、そして眠る。
ここで「そうした日常で流れる時間とは、全く異なる時間の流れを、
我々現代人は意図的意識的に創り出さなくてはならないのではないか。」という仮説が生じる。

あるいは「情報という名の概念的要素」に比重が置かれ「目で見える物理的なもの」が軽んじられる傾向にある現代社会において、TwitterのTimeLineさながら次から次に押し出されていくのであれば、僕達はある時その場で立ち止まって、流れていく情報を俯瞰的に眺め、本当に必要なものだけを取捨選択する。

そうした作業が、またある意味では大きな価値を生むのではないだろうか。


そしてそれを行う上で「最も適した場所」というのは、実はお風呂に浸かっている時なのではないだろうか、と皆さんに提示させて頂き、今回は終わりにしたいと思う。
「私は眠る前の時間、そうして熟考しているんだけど」「俺は歩いている時なんだがな」という声が聞こえてくるけれど、それはもう、各々にお任せするとして。








Photo by YORIZO.

2011年3月20日日曜日

ブログを始めるということ

ここに、自身のブログを開設する。

これは、その、宣誓的洗礼の儀式であるからして
出来る限りド派手に、目立つ様に行うのが筋だと思う。

しかしどうやら僕はそうした祭り的な作業を控えなければならないようだ。

理由は主に、さきの東北地方太平洋沖地震の被災者方の安否が未だに不明であることや、
それを見守る日本国民全体が(あるいは世界中の人々が)粛々と日々を送っているため、といった問題に起因する。

一方で「オデッセイの夜明け」の行方などなど、『地球上の同一生命体』という観点から考えなければならない問題が山積みされている中で、僕は(どこかで後ろ指をさされて居るんじゃないかなぁ、と思いながらも)粛々とこうしてBlogを立ち上げている。


それはそれで、ある一定の評価を与えられてもいいのではないか、と思ったりもする。


例えば今回の地震、そして揺れる中東の社会情勢など、他にも見過ごせない数々の問題があるにせよ、まずはそうした出来事に、僕達は一つ一つ関心を示さなければならないなと感じている。理解しようと努めなければ、何も始まらないんじゃないだろうか。

しかし情報過多のために、不感症になってはいけない。
そして僕らは(これは先日にも書いたが)取捨選択する能力を養わなければいけない。
埋没してしまう前に。

選択する能力を身につける為に、目を養わなければいけない。Look.
その上で、何が正しいかを自身で考えなければならない。Thinking.
こればっかりは、人に聞いてそれをそのまま鵜呑みにしてはいけない。

そうして、考える為に、書かなくてはいけない。
書いてそれを(これは僕が好んで使う表現の一つだが)
一定の距離を置いて俯瞰しなければならない。

それは鏡に映った自身の姿を眺める行為ではない。

高い所に立ってあるいは浮いて、自身の頭の先から爪先までを見る。
そうした神の視点的俯瞰のことである。

「知る」「選ぶ」「書いて考える」といった過程を経て、今度は自身の言葉で、発信する。
「発信」することで、また再考する。


Blogは本を出版するよりもHPを開設するよりも実に簡単且つ即時的であり、
特に技術がなくても自身の考えを人に伝える事ことが出来る。

更に即時的でありながらTwitterのTimeLineのような流動性は無く、
あるのは自身の記事だけである。

つまりそこにあるものは、その人自身の姿(エゴ)だ。


そういった意味においては、自問自答のツールとして
あるいは備忘録としても当然機能することは間違いない。

それよりも何よりも、書き続けることが大切だ。
と、忘れないようにここにしっかりと書き記しておくとするか。

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