2011年12月31日土曜日

今年までと来年からと

あいつが泣きながら東京駅をあとにする度に、僕は彼女を幸せにしてあげないといけないなと、心に強く誓っていた。

その誓いは今でも、もちろん続いている。

2011年、たくさんの方に迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。

来年は心身ともに鍛えます。
よろしくお願いします。

2011年12月29日木曜日

レスキュー(あるいは震災に関する身勝手な考察)

僕には2011年という年がよくわからないでいる。


視野を広げてみれば、世界各地で大きな震災があり、ここ日本でも三陸地方が壊滅的な被害を受けたことは記憶に新しい。
お亡くなりになられた方々には、心からのお悔やみを申し上げたいと思う。


生き残った僕らは生きているわけではなく、生かされているんだということを僕は震災をきっかけに感じるようになっていて
お亡くなりになった方々の「生きたい」という願いも、今生きている我々は背負いながらこれからも生活していかなければならない。


しかしあれからもう半年以上が経過しているとは、逆立ちして考えてみても早すぎる。
なんだか、2ヶ月ほど前のことのようだ。

震災は僕にとってはそれぐらいインパクトが大きくて、今、たった今でも津波によって街が飲まれていってしまう様子が
ありありと目に浮かんでは、静かに消えていく。(しかし残像で残り続けている)

それこそ、冷たい水が、まだ道路をひた走っている軽トラをさらっていくシーンなどは痛々しいほどリアルに思い出され、
僕はあのような状態で亡くなった方々に、かける言葉が見つからない。ただただ目をつむり合掌するのみである。

それにしても自然災害が起こることは理屈という観点では理解できなくもないけれど、
何故、生を受けたものがあれほど凄惨な死に方をしなければならないのかは僕には分からない。


お子さんを抱えるお母さんも居ただろう。
まだこれから働き盛りで、元気がもりもりだったお父さんも居ただろう。
子供、おじいさんおばあさんも居ただろう。
勿論人間ばかりではなくって、犬や虫たちだってあっただろう。


そうした生きるものたちの大半は冷たい海水に浸され流されていった。
人がこれまでに育ててきた道徳心や規範性など「人としてどう生きるか」
といった現代社会の土台となる考え方は震災を前にすると全く役に立たないでいる。


親を失った子供に「どうしてお母さんやお父さんは死んでしまったの」と聞かれた場合、僕らは一体なんと返せばいいのだろうか。

そもそも「なぜ、人は死ぬのだろう」と考える前に「なぜ、僕らは生きているのか」という質問に対する答えすら、
僕らは何も聞かされてはいない。
何をする為に生まれてきて、どうして老いていき死に至るのかという疑問を考えることは、僕は決して無駄ではないと思う。
そこから生がよりくっきりとした輪郭をもってきて、人生をまっとう出来るのではないか。


「なんで生きてるかって?
そんなのは単純だ。子供を作るため、子孫を繁栄させるためさ」と人は言うかもしれない。


こんなことを考えていると「まあそんな深くなんがえずにさ、気楽にやろうよ」なんて言って、
僕に声をかけ続けてくれた長年連れ添ってきたパートナーも、今は居ない。

今年になって彼女がなぜ僕から離れていってしまったのかも、正直に言えばよくわからない。

こちらは復縁を望んでいるけれど、人は僕に「まあそんな深く考えずにさ、気楽にやろうよ」なんて言ってくる。
こちらの気も知らずに声をかけてくるそうした心ない人たちの投げる言葉の意味性も、僕にはよくわからない。

上述した通り、正直な所こういった諸々があって、だから僕には2011年という年がよくわからない。

来年はもっと単純に、志向性的にも精神および肉体的にも楽を感じたいな、と思います。




ちゃんちゃん。





written by ibukijohn.

2011年12月25日日曜日

ダウンジャケットって

あったかい

人間よりも、あったかいかもしれません

これをまとえば
まるで、春さ

2011年12月24日土曜日

So knives out

I want you to know
He's not coming back
Look into my eyes
I'm not coming back

混乱する

猥雑で卑猥で雑多な、なんの価値も見出せない言葉の数々が僕を混乱させる

2011年12月22日木曜日

デイジー

花言葉

あなたと同じ気持ちです。
無邪気、乙女の無邪気
美人、純潔、明朗、平和、希望

クリスマスか

ロンリークリスマスだ
愛、ねー、キリスト様ねー。

2011年12月21日水曜日

こりゃー、ほんとにその通りだなぁ

真面目に恋をする男は、恋人の前では困惑し、拙劣であり、愛嬌もろくに無いものである。
byカント

恋愛の名言

愛とは、この女が他の女とは違うという幻想である。
byH・L・メンケン

バイロンの名言


・男にとって愛は生活の一部だが、女にとって愛はその全部である。
byバイロン

距離

手を延ばせば届きそうなのに
全然届かないんだから

また

どうしたらええんか分からんようになってしまった

人生において
相互作用って言葉は当てはまらんのかなぁ

2011年12月19日月曜日

寒くって

なかなか布団から出られない
布団の中はあったかい
外はとても寒い

まるで人生みたいだなぁ

2011年12月17日土曜日

恐らくは

Love is over.

沸点に達し、昇華した。
誰がこんな顛末を予想した?

時代は過渡期に入ったんじゃないか?

2011年12月16日金曜日

言ってしまえば

君はただの入れ物にすぎないのだよ。
君の中に入っているもの、それは意識と呼ばれるもので、死んでしまえばまた意識は他を求めてさまようわけだ。

難しく考えることは無いよ。
実に簡単な仕組みなのだ。

2011年12月14日水曜日

人生案内より

「いや、俺はちゃんと帆を上げて待っていたんだよ。
でも、風が吹かなかったのだから、ヨットがはしらなかったのはしかたがないじゃないか。
俺の責任じゃないのだから、そんなことでがっかりしたりはしないぞ」

五木寛之

言葉

人の口から放たれた言葉には
その人間のまことが出る

自分以外の相手に
何かを伝える時には
言葉が力を持ってくる

つまりは、責任が生じてくるんだよ。
言葉には。分からないかな。

愛してるって言葉には
これまでのことも、これからのことをも含まれているんだよ。

なんで、分からないのだろう。
これじゃ言葉の濫用じゃないか。



2011年12月11日日曜日

バカになる

相手のことを考えた場合
俺はいま、恐らく連絡を取らない方がいいんだろうかな。

もう、なんにも分からないバカになりたい。考えることの無い、バカになりたい。

2011年12月10日土曜日

もうつかれたよ

もう、いいかげん、いいだろう、
と、月につぶやいてみるが、返事はもちろんない。

お前は月か?
いや、お前は女だ。

女よ、俺はもう、ほとほとに疲れてしまったんだよ。
なんでこんな目にあわなきゃいけないんだろう。

いったいいつまでさまよえばいいんだろう。
誰にこの怒りをぶつければいいんだろう。なんなんだろう。


どれだけ考えても、僕が一体なにをしたんだ、とか、相手が悪いとか考えてしまってきん、なんにも面白くない。

ぽっかりと胸に穴が空いたとか、表現があるけど、これは穴なんかじゃない。

じゃーなんだろう。
書くことでしか埋められない何かか、あるいは他のものか。

女か?
男か?

俺は一体何を求めて生きていけばいいのか。誰か教えてくれないか。

誰も教えてくれなくていい。

もう、そっとしておいてくれ。
僕はもう、ほとほとに疲れてしまった。

2011年12月8日木曜日

風を待つ

風を待つ。
何をしないでもなく、ヨットの帆をしっかりと張りながら、待つ。

なによりも

なによりも理解できていたものが
今では一番分からない

2011年12月3日土曜日

メールを

送ろうとしたり、
やっぱり作ってから、また、消したり、する

もし

神様がいるとして
この試練の意味を
ぼくが問うたとして
そこでなんらかの意味的なものを
言われたとして

そこで真相を聞かされることよりも
今のこの毎日が、本当の意味での真相なんだろうなぁ



何をしてるのかとか

教えてくれたっていいのにな

2011年12月2日金曜日

吠える

もし、ぼくの恋愛が
たとえば不埒なものだったとしたら
ここまで、悲しむことはなかっただろう

まっこうから
対峙した、
自分の青春をかけた恋だったから
だからここまで、
ぼくは慟哭するんだろうな

泣いて

会社に向かう電車の中で泣いて、
また歩きながら泣いて、
エレベーターの中で泣いて

こんなに泣いたのは初めてだなぁ

悲しさは

鳴る

THE MANZAI2011

THE MANZAI2011が、12.17日にあるよ。楽しみだね。

不可能を

超えろ

遅すぎる

そんなことがあるのだろうか。

2011年11月30日水曜日

2011年11月29日火曜日

こんなにも

こんなにもたくさんの感情の塊が
僕の中に混在していただなんて
知らなかった

ただ、それを知ったところで、果たしてどういう意味があるのか、は、今の僕にはまだ、分からないけれど

心のやさしい僕の友人へ向けて

ありがとう。

優しさがポカリスエットみたいに身体に沁み渡るよ。

大丈夫。

死んだように生きているけど、その生きてるってこと自体が、少しだけ僕をつよくするんだ。

今は、今の僕はそんな気がしているよ。

もっと

一緒に、ずっと一緒にいられるものだと思っていた。

その先に結婚などがあるのだと、僕は勘違いしていたのだろうか。

2011年11月27日日曜日

これまでみたいに

優しく微笑んでほしいです。

僕はいま、ただ愛に飢えている。
そう、君からの愛情に飢えている。


いったい僕の何が気に入らないの?
きちんと教えてくれなきゃ、こちらはなにも手に付かないよ。
もう、八方ふさがりなんだよ?


そしてそれでも僕は前を向いて生きようとしているんだ。けな気にも。

そういうことを、君は本当に分かった上で僕から去ろうとしてるの?

だとしたら、一体俺が何をしたっていうんだ!俺を壊す気なのか?

どこで

ボタンをかけ違えたのかな

これは

すべて君の心の問題だ

誰か

助けて下さい。
僕は今にも死んでしまいそうです。

あぁ、誰か。
僕をこれ以上絶望のふちに立たせる事はやめて下さい。

2011年11月26日土曜日

悪夢よ

過ぎされ。
いつまで俺の脳にへばりついているんだ

ああ

これまで一番近い存在だったのに
今では随分と遠くに感じてしまう

こんなことがあってたまるか

恋愛がしたいわじゃない

ただ、幸せになりたかっただけ

2011年11月21日月曜日

短編小説に関しての一考察と提案

「よくそんなに、ぽんぽんと、ショートショートが思い浮かびますね」

最近もっぱらこういう類いの質問を受ける。付け加えて「アイデアの枯渇することは、無いのですか」と。


僕は二日に一度(この二ヶ月ほどにここに載せてきたような)“小説のかけら”を書いているわけだけど、
一つの作品に費やす時間は多くて一時間と少し、短ければ15分から30分ほど、である。
それに、アイデアは決して枯渇しない。何故なら僕は「文章の必然性に基づいて書いているから」である。


上のような疑問を持ってこられてもこちらとしては懸命に数日かけて産み落としているわけではないからして
「そうですね。一つのストーリーをはじめから終わりまで完結させる作業というものは、
 友達になれそうもない人と5分間世間話をするよりも簡単ですよ。一度君もトライしてみたらいい」と、
普段のテンションより幾分トーンを落として、伝える事に決めている。

「一度君もトライしてみたらいい」という箇所が非常に重要なんじゃないかと、僕は考えている。

これがもし「友達になれそうも無い人と5分間世間話をするよりも簡単ですよ」のみで終わってしまったら、質問者は追い討ちをかけるようにまた次の質問をしてくるんじゃないかと僕は身構えてしまうわけで、会話の最後を“あなたには少し難しいかもしれないけれど”と嫌味的な色を付けて「一度君もトライしてみたらいい」と手渡す事で、こちらの言葉がなんだかファンタスティックな色調を醸し出すのではないだろうか、と思う。


ショートショートを頭からケツまで書き終える事は僕にとって、本当に容易い作業である。
また、作品の本数が増えようが関係は無い。
それは、ジョギングで100kcalを消費するより簡単だ。

今回は質問の多い「ショートショートの書き方講座」(のようなもの)の、
その手ほどきを僕が直々にあなたに伝えたいと、このように考えている次第である。
そういう意味では質問者が猫だとしたら、今回の投稿はマタタビであると言えるだろう。
(そしたら僕はさしずめ“マタタビ製造業者”か?)


では、早速、書く。
まずプロット(基本設定や趣向、脚色)などは一切考えない。
人物設定、場所、時間、という小説には必要不可欠なすべてを、考えてはいけない。
(この点は、素人が「もう、書けないんです、なあーんにも思いつきませーん」という負のスパイラルあるいはアイデア不足に陥ってしまう大きなポイントだ)


例えあなたの頭の中に“なんらかのストーリー的なもの”が浮かんだとしても最初の一文を書き始めるまでは、それを視野に入れてはならない。

理由は至極単純である。
「その後のストーリー展開を“自分で”考えなければならなくなってしまうから」だ。

「今回の小説はこのように書こうかしら」みたいな“流れ”が見えたとして、その“流れ自体”がある事によってストーリーは奇抜性を欠いてしまう。
何よりも、常識からの脱却が必要なのだ。

これからショートショートを書こうとしている方は決して常識に囚われてはいけない。
不安な方は手のひらに「私は既成概念を捨て去る」と書いて、口に百回放り込んで飲み干せばいい。
(そうすれば恐らく翌日にはあなたの両の手には、冷たい手錠がかけられているだろうが)


例えば、左からピンクの桃が流れてきたら、その桃は恐らく右側に向かって進んでいくんじゃないか、と予測される。
それではいけない。それでは読者に先を読まれてしまう。
逆を返せば、優れた超短編小説は、予測されにくいものなのだ。

そもそも文章芸術は、書き手よりも読み手側の方が先を見越しやすいものである。
(この点で文章という名の芸術作品は、映画などの時間的芸術作品とは完全に区別して考えなければならないだろう)


では、書く時に、どのように書き進めていけばいいのか。
という疑問が、あなたの頭の中を駆け巡っている事と思う。

答えとしては
「文章は、最初の一文が何よりも重要である。
 最初の一文さえうまく書ければ、
 後の文章は必然的に、しごく自然に湧き出てくる」と僕は考える。
(湧き出てきたら、それを文字に起こせばいい。コピー用紙から千羽鶴を折るよりよほど簡単な作業だ)

短編小説とは、文章自体が文章を書き連ねていくもの、と言えるだろう。

「最初の一文さえ書く事が出来れば(文は文を補填する性質があるのだから)
 次に次にと続いていく。そして蓄積された文章を振り返った時にそこには、男女が愛し合っていたり、あるいは野花が咲き誇っていたり、というようなストーリーらしきものが浮かび上がる。
 そして最終的には、落ち着くべき所に、落ち着く」わけである。

この点において文章とは、前後の関係を抜いては成立し得ない芸術であるからして(詩や散文などを除いて)、
一文があり、またそれに続く一文があり、またそれを受けた一文が必然的に連鎖していくものである。
言語の伝達手段の一つとして使われる符号を、いくつかの法則に乗っ取り、集積させたもの。それが文章というものである。
(これは僕がこの場を借りて書くまでも無く、そういうものである、という人類の共通認識の元にここに記す)

「それでは、そもそもまず、根本的な第一文は、どのように書けばいいのか」と疑問に思うだろう。
「最初の一文さえ書ければ、後に続き結果、短編が完成する、と言うのであれば」と。


申し訳ない。
正直な所、こればかりは、僕があなたに教えられる事は、何も無い。
ここまで目を点にして必死に読み進めてくださった方には、土下座をして謝らなければならないが、本当に何も思いつかない。

こういった言葉がこの場に置いて適切かどうかは僕には分からないけれど、最初の一文に関しては、もはや「閃き」とでも表すしか無い。
あるいは「閃きに近いもの、なんだか見えたような、そんな気がする」であっても、問題ない。

ただし、一つ助言のようなものがあるとすればそれは「法則性を身につければいいんじゃないか」ということになる。
では、法則性を身につけるためにはどうしたらいいか?

それは「(あなたの思う)優れた作家の本を読めばいい」ということになる。
あなたと馬が合う作家の良書を読むことによって先に述べた光にも色があることが分かり、形が分かり、終いには(ニュートリノの事は今は抜きにして)それを掴めるようにさえ、なる。


そして、本当に一瞬であるその閃光を、目を見開いて捉える事が出来たなら、あなたは恐らく短編の名手となり得ることだろう。

さてさて、それでは一度、君もトライしてみたらいい。
幸運を祈る。





written by ibukijohn.

2011年11月20日日曜日

忘れられない

忘れられない

そんな簡単に消し去ることができるはずは無いやいやいや

何もかも不鮮明さ
もう自分すら信じられない

だって長い間信じてきたものから拒否をされたのだから
堕ちるとこまで堕ちなきゃかな

忘れよう

すべて忘れよう
もう すべてわすれてしまおう

そうしないと
ささやかながら築き上げてきた精神の城が崩壊してしまうだろ?

頑丈だと想っていたその城が案外脆くて そのことに気がついたのが28歳の今になってでした

ああ、もっと沢山の恋愛をしてこれば、この城にもお堀があって兵隊がいて、屈強だったろうに

すべて忘れよう
ああ すべて忘れてしまえたなら

2011年9月16日金曜日

生まれ変わったとしても

生まれ変わったとして
たとえば
君が猫なら僕も猫になりたい

君が象なら
僕も象になる

なんでもいい
おんなじがいい

もどかしきこと

相手の愛情が収縮してゆくと
こちらの愛情は拡大してゆく

どうしてこんなに
うまくいかないのだろう

愛する人よ

おはようも
おやすみも
なんにもない

いただきますも
ごちさうさまも
きこえない

そういうことは
もうやめにしませんか

2011年9月1日木曜日

笑い話になればいいな


2011年新潟県は長岡の花火大会より

何かに身を寄せていないと飛ばされてしまいそうだ。
こんなにも突発的で、荒々しい風雨が吹いてくるなんて、至らない僕には考えもつかなかった。


これは台風の話ではなくて長く続いている僕の恋愛の話だ。

長い恋愛模様の中では、相手から愛してもらっているという実感が
感じられないこともままあるだろう。浮き沈みはあるだろう。
昔の僕はそれが分からず、いつも最高潮の「愛してる」を求めていた。
いつ何時でも高揚感のある、目に見える形の愛情を求めていた。

しかし時は流れ、いつしか僕も、温かな土壌的愛情を欲している事に気がついた。

僕はこれまで彼女に何度別れ話を切り出したか分からない。
別れようと思う原因は彼女にはなく、それはいつだって僕の問題だった。
僕個人のエゴと性欲なんかをロマンなどと言い換えたまがい物を、ことあるごとに倉庫なんかから取り出してきて、恍惚とした表情で眺め、一過性のそれを彼女に熱弁するのだ。

彼女からすればたまったもんじゃない。
その度に彼女は泣き、僕はそうした彼女の後ろ姿を「男ってもんが分かってねえな」等と、
どこか嘲るような格好でなだめ、そして時間が経つにつれまた二人は「いつもの二人」に戻っていった。

戻れた事は、実際当時の僕にとっては何でもないことがらだった。
普段はごはんを食べているけどパンがおいしそうだと思い、
パンを一時的に食べていたけどやっぱり僕はご飯なんだ、とでもいうように。

しかし今にして思えば戻る事が出来たなんて、ほとんど奇跡に近い事だと思う。
彼女の苦労と寛容さが今にして身に滲みる。

しかし、今回のように彼女の側から別れ話を切り出されるなんてのは、考えてもいないことだった。
ありえない、最初聞いた時にまず、そう脳裏をよぎった。
次に思ったのは自分はなんて馬鹿だったのだろう、ということだった。
驕り、過信、自意識過剰。
いつでも彼女の心は(どれだけ距離が離れていたとしても)僕に向けられていると思っていた。

僕はこれから、どうにか彼女の気持ちを、彼女の目を、僕に戻したいと思う。
そういった心持ちを、僕の心情を彼女に伝えたけれど、彼女は「もう疲れたわ」と言う。
「連絡をしてこないで」と僕に言う。
あとからこの文章を見たときに笑い話になればいいと本気で思う。
これだけ心から望む自身の笑い話は人生で初めてである。

2011年8月13日土曜日

明日はBBQ大会!


YORIZOと山梨にて



BBQ実行委員会および普及委員会会長の伊吹です。


今回は明日の最終確認の為に、皆さんに連絡しております。
明日は青梅線の西立川駅(公園口)に朝10時30分集合です。

集まり次第、みんなでお酒などを買い出しにいきたいと思います。

お一人様、5000円をその際に徴収します。
尚、公園に入る時、別途入場料が400円必要ですのであらかじめご用意ください。

以上明日を楽しみにしております!


御不明点などがあれば、会長である私までご連絡ください。

※尚、キャンセルされる方は、料金がまるまる発生します。
その場合は、なんらかの方法で別途徴収いたしますのでご了承ください。





以下参考までに。
よくある質問集   :http://www.herofield.com/bbq/showa/faq.html
昭和記念公園公式HP:http://www.showakinenpark.go.jp/

2011年7月12日火曜日

そして僕はDJになった

おいら@DJ

以前もここに書いたけれど、先日、明大前で
僕、DJを一時間ばかりやってまいりました。

いやぁー、本当、楽しかったです。
来てくれた皆、どうもありがとう!


僕は序盤から結構な勢いでウィスキーをロックで口に運んでいた訳で、
まぁー、なかなかな酔っぱらい具合で、皆に音を届ける事が出来ました。

LIVREさんはイコライザーもしっかりしてたし、
スピーカーはBOSEだったし、音圧もあったしで、
僕のこれからの輝けるDJとしての幕開けには実にふさわしい
イベントになったと感じ入っています(そんな、横柄な!笑)

音に関して言えば、例えば2pacを流している時はbassを一時ぐらいに
トレブルは11時ぐらいに、ミッドはそのまま、などという感じで、
曲によって変化をつける事ができて、それもまた一興でした。

逆にアンダーワールドではDjayの機能をフルに使って、
リズムをいじったり、テンポを落としてみたり、
キューポイントを落として回してみたり、とコネクリ回しました。

勿論僕はDJとしての機材などは持っていないので、
iPhoneのみでやったのですが、それでも終わった時には
みんな拍手で迎えてくれて、人によっては
「あんた、センスあるよ。絶対、イケるよ!」などと
非常に温かでそして不確かな言葉を投げかけてくれたりもしました。


ツナグという作業に関して言えば、それは赤ん坊がやっとハイハイを
覚えた程度のものではありましたが、それでも自分としては
合格点を付けてもいいのではないか、と思っています。

悔やまれるのは、Djay上で録音をしていなかった点です。

次回はきちんと録音をして、この、クモの巣が張り巡らされたかの様な
WEB上に、それこそ盲目的に全世界公開できたら、本望です。




【2011.07.03 my set list】(ちょっとうろ覚え Ver)


1 :水の歌1 悠太から
2 :Take Off Your Cool Andre 3000 Feat. Norah Jones
3 :To Live And Die In L.A 2Pac
4 :Automatic (Album Edit) 宇多田ヒカル
5 :夜の天使 ケツメイシ
6 :Moaner Underworld
7 :Lovers In Japan / Reign Of Love Coldplay
8 :Block Rockin' Beats The Chemical Brothers
9 :Stronger Kanye West
10:Swoon The Chemical Brothers
11:Slash Dot Dash Fatboy Slim
12:SEA 秦基博
13:Move By Yourself Donavon Frankenreiter
14:ワールズエンド・スーパーノヴァ くるり
15:Come Dancing Jeff Beck
16:ラジオ PEPIN
17:Every Teardrop Is a Waterfall Coldplay







そして、これが一時間の枠の最後に流した楽曲
ColdplayでEvery Teardrop Is Waterfall

お時間があれば、お楽しみください。

2011年7月8日金曜日

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

Photo by YORIZO



「それが君のやさしさであり、弱さである」

と、彼は言う。
頭がボサボサの彼はいつだって会話の最後はそう締めてくる。


僕はそんな彼の事がきらいじゃない。

誰にだってクセはあるもので、彼の場合はたまたまそれが
人との会話において、最終章の末尾に顕著にくっ付いている、というだけのことだ。


「それが君のやさしさであり、弱さである」

そう言われたら僕は、
あぁ、そうなのかなぁ、
やっぱりこういう事を考えている自分という人間は、
自分自身としては人に対するやさしさだと思っていたんだけれど、
それはまた、ある種の弱さでもあるのかなぁ、と、思う。


そして会話のケツの部分を掌握した彼は(ある一定の間合いを計ってから)最後に必ず、
「まぁ、とどのつまりは、立ち位置の問題なんだけどね」と、言う。


そう言われたら僕は、
あぁ、そうなのかなぁ、
やっぱり意見を言うという作業は、
どういった視点や、立場から言っているのかで変わってくるのかなぁ。
まったく彼の指摘は、つくづくその通りだなぁ、すごいなぁ、と、思う。



そして彼は、煙草を口にくわえる。

僕はマッチをすって、その煙草に火をつけてあげる。

煙を大きく吐き出してから彼は横目で僕を見て、
少しはにかんで、頭を撫でてくれる。

その時、僕はいつも、彼とずっとこうしていられたらな、と、思う。

夕日は、山のふもとに、静かに落ちていく。
その時、何かが焦げるような、ジリジリという音が聞こえた気がした。

2011年6月29日水曜日

壮大かつ恍惚なるBBQ計画の考察

壮大かつ恍惚なる計画が、今始まる



おいら@ソラノネ



現在進行中のBBQ計画に関して、ここに一挙手一投足を記そうと思う。
そうする事で、誰が浮かばれる事になるか
あるいはおとしめられる事になるのかは、分からないし考えたくもない。

ただ書きたいと思ったから、書くのだ。
初期衝動でどこまで書くことになるのかは自身も甚だ疑問ではあるが。


さて、日時は2011年8月14日のお盆だ。
場所は東京は立川にある昭和記念公園バーベキューガーデン

実は、2〜3年程前に彼女と昭和記念公園をフラついていた時に
フと目線をあげると、楽しそうにBBQをやっている輩達が目についた。

彼等は深夜3時の大学生のように、人生を謳歌していた。
例えばこちらが「楽しいですか?」と問えば
「それは愚問でしょ!」とでも言い、
「なに、あんたばかぁ?楽しんでないの?」とガンガン突っ込まれそうな勢いだった。

何よりも、彼等にはハイになるべき材料が揃い、余っていた。
大学生的時間の余裕、社会性の苦痛、そして将来への不安と、
カゲロウの命のような瞬間性沸点的要素、だ。

それはえてして精神上の根源的希求の様なものだろうと僕は思った。


その時の僕は「BBQ、やりたいなぁ」とか
特に何も感じなかったのだが、今になってして思えば
あの時自分の潜在意識下に入り込まれていたのかも知れない。

そう思うと自分の意識が及ばない所に
何らかの事象が眠っている、あるいは、ため込まれているという事は
多分に考えられる気がしてならない。

「まぁ、えてして、人間とはそういうものなんだよ」と
アインシュタインさんか誰かに言われれば
「あぁ!やっぱ、そういうものなんですかね」とでも答えようか。



次にメンバーだ。
メンバーが何よりも大切だ。

パスタを作ろうとして、頑丈な南部製鉄鍋と、
ミネラル100%なる水と、カリブ海かどこかの厳選された塩とがあっても、
肝心のパスタ自体が無ければ話にならない。
(このメタファーの肝はパスタは人である、ちと無理矢理か 笑)



さてと、書くか。
(ちなみにこの中の10人にツイッターを招待したのは僕である@自慢話


@
@
@
@
@
@
@
@
@
@
@

そして、大阪から参加の二人(まゆみとひろき)
それに追加で、@
も参加する可能性があると、@ 言っていた。


計14人になるのか。大所帯と言わざるを得ない。




さてさてもろもろは置いておいて、
夏を楽しもうじゃないか。


それこそ、深夜三時の大学生のように。

2011年6月28日火曜日

Clubイベント告知「Magic box」










のぶさんに誘って頂き、来たる2011/7/3(日)に
DJイベント「Magic box」に参加します!
(確かイベントMagic boxの開催自体は7回目だったはず)



わたくし史上初のDJ参加、ここに確定!
僕の出番は18時から!


…と、いう事で、以下の公式HPにクラブの写真が貼ってありますが、
クラブとは言っても、おしゃれなバー的雰囲気。

「気持ちいい音楽をバーでお酒飲みながら聴きにいこう!」
ってな感じで、お気軽にお越し下さいな。




■以下、詳細です。
場所は明大前から徒歩2分の所にあるバー【Livre】 
時間は2011/7/3(日) 17:00-22:00
料金は1500円/1drink付き

地図


2011年6月26日日曜日

気が付けば夏

拓夫の車の中から撮影@福井県小浜市にて



もう、6月が終わりに近づいている。
日々を、噛み締めて生きていこうとはしてみても
気が付けば歳月は矢のごとしスピードで消化されていく。

最近は文章を書くことから離れてしまっていた。

これは良くないことだ。
毎日の隙間時間に“書く”という作業を落とし込んでいかなければ。

これは、自重しなければならない、憂うべき事態である。


それとは別に、音楽を作っている。

ある人がメロディーだけを作ってきて
そこにTaikiがリズムトラックを乗せて
今度は僕がコードをはめる。

もう少ししたら、この場所でも披露できることになると思う。

こと音楽に関して言えば、最近の僕はさらに
自分で歌って、伴奏を付けて、弾き語り風に創っている。

それもまた近いうちに僕のSoundcloudで日の目を見ることになるだろう。


しかし、なんだかんだ言って季節は、気が付けば夏。
あらゆる意味で引き締めていかないと。

2011年5月30日月曜日

もちろん、この世に、愛、というものはない。
愛するという豊かな能動性がそれぞれに見られるだけだ。

2011年5月25日水曜日

Funkybeat and Rockstyle:Crush downの楽曲



Funkybeat and Rockstyle by ibukijohn



もう、何年前になるかな。
友人達と組んだ4人編成のバンド Crush down (クラッシュダウン)

Red Hot Chili Peppersをリスペクトする4人がたまたま東京に居合わせていたわけで
これはもうバンドをやるしかないな、ってことになった(んだったけかな 笑)


俺はその中でギターを弾いていた。
ギターはフェンダーのテレキャスターだった。


せいじ(Dr)、山3(Ba)、ヤッシー(Vo)、そして俺(Gt)
この音源はセミプロの方に高田馬場のまともなスタジオで録ってもらったんだ。

リズム隊(Dr.Gt.Ba)でスタジオに入って、3テイクを通しで録った一発目の音源。
そこにあとからVoを乗せて、mixingして完成だ。

まだまだあまーーい箇所はあるけれど、バンドのアンサンブルを
これだけのダイナミクスをつけて演奏出来れば、悪くないなぁって今聴いても思う。



さて、今からTaikiに送ってもらったVoさんのメロディーに
伴奏を付ける作業に着手するぜ。どんなものになるか楽しみ。

ワクワクすることを見つけてどんどんやっていこうじゃないか!!!

2011年5月20日金曜日

今日を生きる

「もっとも偉大なのはメタファーの達人である。
通常の言葉は既に知っていることしか伝えない。
我々が新鮮な何かを得るとすれば、メタファーによってである」by.アリストテレス



本日は6時過ぎに一度目が覚めて、
それから再度8時頃まで寝て、また、起きて、パン屋へ向かった。

サンドイッチと紙パックのあまーいコーヒーを買って、食って、
その後、アリストテレスと詩学に関しての考察を深めた。


これから、少し、ランニングしようと考えている。

休みの日、最近の僕は何も食べずに朝8時頃から10時くらいまで
約10キロ程を走っている訳だけど、朝の二時間は午後の二時間に比べて
意識的高まりにおいても体力的側面から考えても、非常に貴重なので、
今日はいつもとはスタンスを変えて、望んでいるんです。






現在BGMとして流している音楽は「Obedient feelings by Taiki_Masai」。


この文章を書きながら、僕の意識は東京は立川で
彼と一緒にスタジオに入っていた瞬間に飛ぶ。

そこでは二人は音に耳をすませている。

音を通して、二人は対話している。

そういった奇跡とも例えられる様な経験を、
彼と僕はひとときではあれ、体験した訳だ。

実生活の煩雑性からはかけ離れた、その対岸にあるような素晴らしき創作行為。
もはや「これからもよろしくお願いしますよお」としか言いようが無い 笑


さて、今日は曲作りと、短編小説を書こう。

まずは、走りにいこう。すべてはそれからだ。

2011年5月18日水曜日

感性を研ぐという作業に関してなど

最近のおいら@みずほ台
ヨシズミとジャックの往復書簡1
ヨシズミとジャックの往復書簡2



ふいーっ、上記の作品をやーっと書き終わりました。
今は2011年5月18日の夜の11時過ぎです。

いやいや、今日は(昨日が遅かったのもあって)午前10時くらいに目が覚めて
昨日の友人とのチャットを見直していて、そこでアッと閃いたわけですよ。

「web上の往復書簡という形体でヨシズミ氏の世界を描いてみよう」と。


ヨシズミ氏が旧友といわゆるチャットをやっている、と仮定して
そこにアガルタの概念と音楽と芸術表現やなんやかんやを
一緒くたに入れこんで「会話で具現化し成立する世界観の構築」
なるものを目指してみよう、と。そこから約10時間程かかりましたね。
丸一日かかりました。


いやー、昨日実際にチャットしていた時に、俺自身は
興奮してしまいましてですね、文章を書いている、自分に酔ったわけで。
もちろんそれは、彼が話を聞くのが非常にうまい、ってのがミソなんですけど。

そういったある種のトランス状態を獲得できる機会が、なんだか年をとるに連れ
徐々に少なくなってきていると感じるんです。

若い頃は良かったんですよ。感性感覚的なものが鋭利だから。
研いだばかりの包丁と一緒で、よく切れる。
でもそれだからといって、また研いであげなければ、切れなくなっちゃう。


だから最近は自らを、よーく、研ぐ様に心がけているんですよ。
実生活的に置き換えて書くとですね、例えば音楽に関して言えば
youtubeを見るときもただなんとなくじゃなくて、姿勢で言えば前のめり的に。

ツタヤにいけば、あるアーティストが出しているすべてのCDを借りて聴きまくったり。

アコースティックギターを買って、弦を替えて、引き続けてみたり。
今年中に10曲を作って、自分のアルバムを作るんだ、と公言してみたり。

そういう風に、意識的に動く作業に、念を入れてやってます。
そんな事を考えている、珍しく酒を飲んでいない、僕でありました。



2011年5月3日火曜日

Takuo@盟友と義援に関しての考察

Takuoとおいら(右から)2009.11.21

前回に引き続き、友達の話。
高校時代から現在に至るまで交友関係が
続いている友人の一人に、Takuoという人物がある。

彼は僕の友人の中でも比較的に内向的性格の持ち主で
ま、端的に言えばあまりオープンな性格ではない。

逆に僕という人間は、本質的にオープンな性格である。

例えば、二人を記号で表せば「凹」と「凸」。
突き放して見てみても、この二人は相性が合うんじゃないだろうか
と、ある種一方的に考えている。



そういったことは置いておいて、
2011年GWの5月3日、彼から義援品が届いた。

生産地を見ると甚大な被害を被った、あの宮城県産だ。


」に厚い彼の事だからなぁと考えて、
僕としては嬉々としてその義援品を受け取ったってわけだ。




しかし、ごく一般的な常識と照らし合わせて考えてみて、
こうした行い(義援品を友人に贈るという行為)を自然に出来る友人が
僕の周りに一体どのくらい居るだろうか、という疑問がフと頭をよぎった。

言葉では、やれ「助け愛」だとか、やれ「ぷれいふぉーじゃぱん」だとか
言っているけれど、それを行動に転換している人は、どれくらい居るだろうか、と。


もちのろんこのように書いている僕も、
口で言うだけで何も行動を起こしていないという訳ではない。

直近で言えば、東京は銀座にある「いわて銀河プラザ」に赴き
伝統工芸品指定の南部鉄器製風鈴や、じゃじゃ麺などをいくつか購入し、
それを親友達に配ったりした。出来ることから行動しよう、と。

ちなみにそういったアンテナショップで地域の名産を求めれば
被災地域に(間接的ではなく)直接的にお金が届けられる、ってわけだ。


でも僕は別に、具体的に行動を起こすことだけが
正しいことだとは思ってはいない、と付け足しておきたい。

誰かが「口で何かを言っている時点」で、そのことを「知っている」ってことだし
勿論、思考回路的ベクトルが少しなりともその対象に向かったってことなわけで。
それだけでも(少なくとも)一定の評価に値するのだと思う。

しかし、前回にも書いたけど、まずは「知る」そして「考える」
次に「行動する」というプロセスが大切だと、僕は考える。

そういった観点では、孫氏の言うように「知って行動せざるは罪である」と
いう言葉は非常に共感出来るなぁと、ここに認めて(したためて)おきたい。






追記:20110503 12:55  Hantamaにも転載しておきます。

2011年4月29日金曜日

Taiki@音友

Taiki

音友Taikiが僕と曲作りに関しての話をBlogに書いてくれていたので
それを受けて僕も、非常に嬉しい心持ちでこの記事を書いている。

今回の僕の文章には若干のムラなどが見られるかも知れない。
なぜって、気持ちが高揚している時に書く文章だ・か・ら!

Taikiの今回のBlogはこちら↓
http://taikimasai.blogspot.com/2011/04/track.html


以前一緒に作っていた時は「Tachikawa」という名前のトラックだったのに、
いつの間にか「Obedient feelings」に、変わっちゃっていた。
でそんなことはいいとして、このトラックは非常に気持ちよい。

あるべき姿とはもしかしたらこのことかも知れない。

だって僕のギターのBPMが−5となっている事なんて、
当の本人である僕にすら分からなかったんだぜ。
(エラスティックオーディオって言うんだね)

それくらい、すーっと入ってきた。


尚、今回の彼の文章中のセリフで
>今まで刻んでいたリズムを倍で刻みBPMを180ととらえ再構築していくことに。

って書いてたんだけど、それがもー、なんともビビッと来た。
「かっこえーなぁーっ!」てのはこういうことを言うんだぜ。
固定概念を一度払拭した上で、再構築したって訳だぜ。

ちなみに僕はドラムンベースに関しては知識をあまり持たないけれど
この曲がそういったジャンルに入るのならば、全然好きなジャンルだな。


ところで「Obedient feelings」ってどいう意味なんだ?
従順な心持ちとかいう意味かな。うーむ、分からん。

そーんな「Obedient feelings」はこちら↓
Obedient feelings by Taiki_Masai



Taikiと僕とはお互いが好むジャンルは結構ばらつきがあるかも知れないけど、
だからこそ良いものを生み出すことが出来るんじゃないかな。

なんだか、あの当時には感じなかったことを今になって強く感じている自分が居る。
また、早い段階でリフをおくろーっと!これからも、楽しみだ。

PS.
あっ、Taiki!写真勝手に拝借しちゃった!

2011年4月17日日曜日

前向きな別れ



出会いがあれば
遅かれ早かれ別れがあるわな

出来ることなら
前向きな別れっちゅうもんにしたいな


別れるからには
なんらかの理由があるわな

それを二人がやり過ごさずに
それを手に取って
それを二人で見つめた結果、
そこに別れが生じたわけやわな


こっちの立場からしたら
相手が生きてて、
どこかの空の下で
どういう理由であれ
笑って、くれて、いたらな

ほんで、相手も俺のことを
そんな風に考えて、誰かの洗濯物たたむ手を
フと止める瞬間があってもええわな


例えば、それは、"前向きな別れ"っちゅうことで
思ってみたって、ええんちゃうやろうか











〜弟へ。

2011年4月15日金曜日

YORIZOと僕


6年程前に出会った彼は、名前をYORIZOと言った。

こちらとしては、初見から一方的に好感を持っていたのは確かで、
彼からもそんな言葉を真っ向から言われた事はないけれど
恐らく向こう側もこちらの事を(ある程度は)気に入ってくれている。
言われたとして、気恥ずかしさをやり過ごす術を、今の私は知らない。


今日は池袋の花田でラーメンを食べてから、近くのスタバで二時間程話をした。

サンシャインシティーを取り巻くように立っている街灯は、
節電の影響からか少し暗く、スタバ店内も心無しか照明を落としていた。
私たちは煙草を吸うために外に座った。
少し肌寒いから僕は毛布をかけて座った。

HantamaのHPの作成の話や、お互いに口添えしていた訳じゃないが
それぞれにブログを始めていた事などに会話の花が咲いた。
外では咲き誇っていた桜が、一枚一枚とその花弁を落としていった。


夜は更けていく。
私たちはそれぞれの岐路に着く為、池袋駅に向かう。
別れ際、熱い抱擁は無いが、固い握手を交わした。

…まぁ、いつもの事だ。

また会おう友よ。
三たび会話の花を咲かせようではないか。

2011年4月13日水曜日

僕が走るに至るために僕が行ったこと:Ver.1

今日は4月の13日(水曜日)
埼玉県東南部に位置するこちら富士見市東みずほ台:晴れ


朝の8時ぐらいから11時頃までランニングを行った。
4月のよく晴れた日の朝に好みの音楽を聴きながら
体を軽快に前方向へ進ませる行為は実に気持ちがいい。
福島第一原発からは目には見えない放射性物質が飛んでいるにせよ。うむ。


僕が走るに至るために僕が行ったことは、実は
もろもろの要因が複雑に絡み合っている訳だけど、
その中のいくつかをここに載せておく。
まずは思いつく所からポンポンと書いていく。


■今後、走るために自身の原動力となるような動機づけを行うこと。
(なかなか哲学的な、ある種自問自答のようで興味深い書き方でしょ?)

それは例えば、以下のようなモノ、こと。
・格好のいいランニングシューズを買う。
・ランニングコートを買う。
・iPhoneのランニングアプリを入れる。
・SNSと同期する。
・走ることに関する書籍を読む。


それ以外には、
■音楽仲間Taikiの影響。
■父が若い頃にトライアスロンをしていたこと。 …など。




上に挙げたものが全てではないにせよ、主要の項目は出そろった、はずだ。多分。
そこからさらに一つ一つを取り上げて細分化して今後書き進めていく。


今日はあまり時間がないので、
上に書いた中の"格好のいいシューズ"を載せておくとしよう。(記念碑的に)



2011年4月6日水曜日

2011年の桜




今年も河川敷に桜の花が咲き誇ってくれた。

人の懊悩や、自然災害や、人災が起こったにせよ、
桜から見れば、そのようなことは横目で見送って、
今年も見事に咲いてくれた。

ここはあえて「咲いた」ではなく、「咲いてくれた」と書いてみたい。







「来年も咲くの?」
と、子供は、何気なく尋ねる。


「ええ、もちろんよ」
お母さんは、そうやって明るく答えた。
言葉には何の根拠もないけれど、明るく気丈に答えていた。



僕はその光景を見て、
かつて母に手を取り連れられ歩いた桜並木を思い浮かべていた。

自分の中の心象風景と現実の世界が重なり、
今いるこの地点がどちら側の世界なのか、もはや判別が難しくなっていった。

それとともに、判別するという行為に意味を見いだすこと自体が、難しくなっていった。


だから僕は、歩き続けた。
ただ、ひたすらに、歩き続けた。

そうして自身の轍を振り返った時、
もう、随分と遠い所まで来たなと、つぶやいて、ひとり黙した。






■■■■追記■■■■
撮影場所:柳瀬川

尚、上記の文章は「Hantamaの頭の中は」からの転載です。

ご興味のある方は、写真家YORIZO
私とのユニットHantama(ハンタマ)もよろしくです!

2011年3月31日木曜日

彼女に逢いにゆく



僕が現在住んでいる場所は埼玉県南東部に位置する富士見市である。

東武東上線のみずほ台駅からすぐの所に在るこのマンションに
弟と二人で住んで、もうかれこれ二年と四ヶ月が過ぎ去った。

彼とはたまに喧嘩もするけど(それでも僕の方のパワーバランスが強すぎて、
しっかりした"喧嘩の形"にはならない、ってしっかりした喧嘩ってなんだろ)
それでも普段は本当に仲良くやっていて、僕としては充分に満足している。


まぁ正直に言ってここまで和気あいあいとした兄弟関係っていうのも、
世の中広しとはいえ、そうは居ないだろうと自負している。

おっと、話が"兄弟"に行ってしまった。
"彼女"の話を書こうと思ってたんだった。


4月1日の金曜日。
僕は夜行バスに乗って、彼女が住む福井に一時帰省予定。
(バスは予約済み。帰りの新幹線はその日に乗り込む)

彼女とは今年の夏で八年目を迎える。
紆余曲折あったけど、おかげさまで今ではなんとかうまくやっている。

恋愛の形としては一般的に言う所の、遠距離恋愛ってやつだな。


その日、彼女と僕は、顔を見て話をして、どこかに行って、
ここには到底書けっこないような卑猥なことをする。沢山。
その為だけに帰省して、そして僕はヨボヨボと岐路につく。予定。


こんな"嘘"みたいな本当の話が、
今の僕にとってはとても楽しみである。

そういう意味においても、僕を楽しませてくれる
彼女という存在を大切にしなければならないな。

これからも末永くよろしくな。大切にするからな。

2011年3月23日水曜日

DJ.ibukijohn Vol.2

下記に貼りつけたものは、僕が今回作成した"DJ.ibukijohn Vol.2"です。


"Vol.2"があるんだから当然"Vol.1"も存在するわけだけど、
実は"1"にはP!NKの曲が入っていて、それが著作権保護の為にUPできなかったんだ。

そうした理由でやむなく"2"から、という運びです。

僕が声だかに叫ぶまでもなく、音楽は素晴らしい。


音楽で空腹は満たされないけれど、生きる糧に、希望にはなりえる。

多種様々な音楽が混在する中で、それを一つのボールにポーンと放り込んで、
僕という名のコックがチャチャッと調理した。好きな食材を適当にチョイスして。

そんな感じの"DJ"風の楽曲の並び、時間があったら聞いて頂ければ、これ幸いです。
コメントもお気軽に頂けたら、これまた嬉しいです。



DJ.ibukijohn Vol.2 by ibukijohn

1:Escape Velocity The Chemical Brothers
2:Another World The Chemical Brothers
3:Life In Technicolor ii Coldplay
4:Flashing Lights Kanye West Feat. Dwele
5:Sexy Love Ne-Yo
6:The Way You Move Feat. Sleepy Brown Outkast (Big Boi) Feat. Sleepy Brown
7:Early Morning sound designed by BEAMS RECORDS
8:E-Mac (Interlude) Outkast (Big Boi)
9:Wonderful Night   Feat. Lateef Fatboy Slim
10:Born Slippy (Nuxx) Underworld
11:Swoon The Chemical Brothers
12:Mas Que Nada Sergio Mendes Feat. The Black Eyed Peas
13:The Remedy (I Won't Worry) Jason Mraz
14:Maybe Tomorrow Stereophonics
15:Idioteque Radiohead
16:Love You Long Time John Scofield
  サクラブラザー英語版   Hantama:YORIZO

2011年3月21日月曜日

お風呂に関しての考察




















国難とも言えるこの非常事態において、お風呂に関する内容の文章をしたためれば、
「この人はなんて不謹慎なのだろう。もっと他に書くべきことがあるのではないか」
と非難される事は甚だ承知の上で、つらつらと書いていく。脇目は振らない。

僕はどちらかと言えば『お風呂につかる』という行為を
(そのような組織的な分別があれば、の話だが)肯定する派閥に入るだろう。

普段はシャワーだけでササッと片付けてしまうのをグッと堪えて、
一週間に一度くらいの頻度でお風呂のお湯を半分程まで張って、全くの無音の中、
一時間程じっくりと浸かっている。

それこそ、即席のきゅうりの塩漬けのように。
(余談だけど、きゅうりの塩漬けってなんであれだけ飽きがこないんでしょうね?)

その際お湯の中で体を動かす事は基本的にしない。
ただ黙々と、比較的ぬるま湯の中に、ただ居る。
誰かと一緒に風呂に入るわけではない。
だから基本的に僕はある種の仮定的なもう一人の自分と対話をすることになる。

話の内容は実にくだらない事だ。
ここに書くまでもないことだが、記しておけば後ほど自身の27歳時点での備忘録として機能する事は確かだし、僕の事をより深く知りたいという稀有な人が居たとしたら、見えないその友人の為にも書くべきであろう。

例えば「この風呂をあがったあとで、何を食べるか」ということ。
それから「何を飲むか」ということ。(しかしあるいは生きていく上では切実な問題でもある)
または「会社で起こったなんらかの出来事に関して」「人との関わりや、今後の展望」
あるいは「僕の人生の今は何小節目くらいだろう(吉田拓郎のうた)」と、いうことなどetc...

まぁ端的に言い切ってしまえば、それぞれが馬鹿に出来ないことであり、
そういった「この時代に生きているからこそ、頭を悩ませる数々の事象」は、
すべて愛おしいことなのだ。それは、分かっては、いる。

しかしながらそれは反面、時として実に煩雑であり、逃げ出してしまいたくもなる。

仕事に行って帰ってきて眠り、また次の日に起きて、また仕事に行って、そして眠る。
ここで「そうした日常で流れる時間とは、全く異なる時間の流れを、
我々現代人は意図的意識的に創り出さなくてはならないのではないか。」という仮説が生じる。

あるいは「情報という名の概念的要素」に比重が置かれ「目で見える物理的なもの」が軽んじられる傾向にある現代社会において、TwitterのTimeLineさながら次から次に押し出されていくのであれば、僕達はある時その場で立ち止まって、流れていく情報を俯瞰的に眺め、本当に必要なものだけを取捨選択する。

そうした作業が、またある意味では大きな価値を生むのではないだろうか。


そしてそれを行う上で「最も適した場所」というのは、実はお風呂に浸かっている時なのではないだろうか、と皆さんに提示させて頂き、今回は終わりにしたいと思う。
「私は眠る前の時間、そうして熟考しているんだけど」「俺は歩いている時なんだがな」という声が聞こえてくるけれど、それはもう、各々にお任せするとして。








Photo by YORIZO.

2011年3月20日日曜日

ブログを始めるということ

ここに、自身のブログを開設する。

これは、その、宣誓的洗礼の儀式であるからして
出来る限りド派手に、目立つ様に行うのが筋だと思う。

しかしどうやら僕はそうした祭り的な作業を控えなければならないようだ。

理由は主に、さきの東北地方太平洋沖地震の被災者方の安否が未だに不明であることや、
それを見守る日本国民全体が(あるいは世界中の人々が)粛々と日々を送っているため、といった問題に起因する。

一方で「オデッセイの夜明け」の行方などなど、『地球上の同一生命体』という観点から考えなければならない問題が山積みされている中で、僕は(どこかで後ろ指をさされて居るんじゃないかなぁ、と思いながらも)粛々とこうしてBlogを立ち上げている。


それはそれで、ある一定の評価を与えられてもいいのではないか、と思ったりもする。


例えば今回の地震、そして揺れる中東の社会情勢など、他にも見過ごせない数々の問題があるにせよ、まずはそうした出来事に、僕達は一つ一つ関心を示さなければならないなと感じている。理解しようと努めなければ、何も始まらないんじゃないだろうか。

しかし情報過多のために、不感症になってはいけない。
そして僕らは(これは先日にも書いたが)取捨選択する能力を養わなければいけない。
埋没してしまう前に。

選択する能力を身につける為に、目を養わなければいけない。Look.
その上で、何が正しいかを自身で考えなければならない。Thinking.
こればっかりは、人に聞いてそれをそのまま鵜呑みにしてはいけない。

そうして、考える為に、書かなくてはいけない。
書いてそれを(これは僕が好んで使う表現の一つだが)
一定の距離を置いて俯瞰しなければならない。

それは鏡に映った自身の姿を眺める行為ではない。

高い所に立ってあるいは浮いて、自身の頭の先から爪先までを見る。
そうした神の視点的俯瞰のことである。

「知る」「選ぶ」「書いて考える」といった過程を経て、今度は自身の言葉で、発信する。
「発信」することで、また再考する。


Blogは本を出版するよりもHPを開設するよりも実に簡単且つ即時的であり、
特に技術がなくても自身の考えを人に伝える事ことが出来る。

更に即時的でありながらTwitterのTimeLineのような流動性は無く、
あるのは自身の記事だけである。

つまりそこにあるものは、その人自身の姿(エゴ)だ。


そういった意味においては、自問自答のツールとして
あるいは備忘録としても当然機能することは間違いない。

それよりも何よりも、書き続けることが大切だ。
と、忘れないようにここにしっかりと書き記しておくとするか。

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