2012年6月6日水曜日

言葉との距離感


いつからだったろうか。
僕の言葉遣いが荒れてきたのは。


いや、正確に言えば“荒れてきた”ではなく“荒れさせた”のはいつからだったろうか。
そういえば、昔から僕は言葉遣いに気を付けてきた方でありました。

人から何か施していただいたときはきちんと「ありがとう」と伝えてきたし、
ご飯を食べる前は「頂きます」と、しっかりと口に出して言ってきた。
勿論親の教育方針もあったとは思うが、それだけではなく自分でそうした方向に自身を導いてきたように思います。
人に暴言もはかず、罵声も浴びせず、比較的真っ当な真人間として、恥の多い人生を送ってきました。


逆に言葉遣いがきちんと出来てない人がいたら、なんでこの人はしっかりと挨拶をしないのだろうか、
などと、どこか疑問符付きで見ていたものでありました。


個人的な話になりますが僕はこれまで約八年ほどの間、電話に関係する仕事に携わってきました。

法人に対しインターネットの商材をアポなしで唐突に電話して電話だけで売り込んだり(成績は比較的良好だった)、
NTT系の某企業の携帯電話新規開通業務に携わったり、またはネット関連のお客様サポートだったりと、仕事柄日常的に「会話」をしてきたのです。

お客さんの中のほとんどの方がとてもやさしく応対してくれるんだけれど、
中にはいわゆる口の悪い人や、時にはこちらの心がもうハチャメチャになるぐらいキツイ罵声を浴びせてくれる人なんかが居るわけです。

9.5割ぐらいの人は全くもって普通の人(やさしい人)という分類に入る訳だけれども、
残りの0.5割ぐらいの荒れた人と話をした後では、僕はいつも心をアイスピックで突き刺されたみたいな、
もうそんな心持ちになって、ベッドなんかがそばにあったらグルンってくるまって「うーっ!」ってなっちゃうぐらいの、そんな辛い気持ちになっていた訳です。


「人間は見たいものを見ている」とはよく言うけれど、僕はそうした人の心持ちや在り方を考えずに(職業柄一方的に)
罵声を浴びせられるという経験を重ねてきて、そこでちょっと立ち止まって考えたことがあります。


このまま、相手から一方的にやられっぱなしでいいのか、と。
しかし、だとしたところで、反撃を食らわしてやりたいわけでは無いし、と。


もちろん、クレーマーみたいな人の対応をしても、全くめげない、なーんとも無く平気な人も当然いるんですよ。
そうした人と僕との違いはなんなのだろうかなっ、て。


そもそも僕はなんでこんなにも心が折れてしまうのかなって思って、ふと振り返って考えてみると
「僕は出来るだけきれいな言葉を使おうとしてきたな」っていう原点回帰にも似た感慨を憶えたわけであります。

つまり、引いた視点で考えてみると、僕は多少なりともこれまでの人生の中で言葉に気を付けてきたから、
荒れた、強い言葉に打たれ弱いんだなって思ったんです。


そこでその境地から発想を逆転させて、あ、え、て、言葉を、荒、れ、さ、せ、て、み、よ、う、では無いか。
そして幾ばくか経ってその地点からものを見てみればまた今とは違った風景が広がるんじゃないだろうかって、そんな風に考えてみたんです。


みなさん、ここまでのお話についてきて頂いてますか?

ちょっと分かりづらい点があるのは僕も承知の上であります。
なぜ分かりづらいと言いますと、そうですね「例え」が無いからですよね。

はい。
ではでは、この続きは次回の僕の投稿をお待ちくださいね。
夜も更けてきたので、あしからず。

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