・あなたにお母さんは居ますか?
→いるに決まってるだろ!と、笑。そうですね、誰にでも母は居ますね。
・あなたのお母さんはご存命ですか?
→生きている方もいれば、亡くなっている方もいますね。
・ご存命の方はそのお母さんと良好な関係を築けていますか?
→と、こうなってくると難しいですよね。
物理的あるいは心理的距離が近すぎてもダメ、遠すぎても疎遠に、となかなかに難しいのが実際のところではないでしょうか。
・最後にご存命の方にお伺いします。
仮にそのお母さんが明日亡くなるとして、今日お母さんに対してとった態度を明日もとりますか?
→どうでしょうか。この問いに「YES!」とかつてのオバマ大統領の様に大手を振って応えられる方は本当に少ないのではないでしょうか。
心理学者のアドラーも言っているように、人間の悩みというものは基本的に全て対人関係に起因するものです。
人は、自身を含む対人関係において様々な欲望や業(カルマ)にかられ、本来自分が思い描いている理想とかけ離れた態度をとってしまう、ということがあります。
それはタイミングであったり、幼少期から現在に至るまでの何らかの過程的関係性であったり、たまたまその日にどちらかが機嫌が悪いだけ、などと理由は様々ですね。
「本当はあんな態度はとりたくないのにとってしまう」
「あっちがそんな態度だから、こっちだってそうなるわよ」
と、関係性はなかなかスムーズにはいきません。
また一方では社会生活を生きていく上でも人との関わりというものは切っても切れません。
直さなきゃ、などと思ってはみても、また同じことを繰り返してしまいますよね。
(特に親子関係というものは非常に難しい側面があり、うまくいかないことが多いものです)
そんな中で今回は「両親との関係性」というものに焦点を絞って書くのですが、関係性が良くない方、あるいは理想と乖離している方に対して一つ提案があって、ここまでツラツラと書いてきました。
その提案とは何かというと(ま、上にも一度書いたのですが笑)
「仮に母が明日亡くなるとして、今日母にとった態度を明日も私はとるのか」と自問すること、です。
昨日母に対してとった態度が問題ない、と言うことであればそれは素晴らしいことです。
ま、いいんじゃないかな、という人も素晴らしい。
ただ普段から、改善しなきゃな、直さなきゃな、と思っている方は、一度「仮に母が明日死ぬとしたら」ということを頭に描いて、接してみて欲しいと思います。
(「仮に〇〇」という考え方は網羅的に使えるがそれはまた別の機会に書こうと思います)
人は必ず、いつか死にます。
だからその仮定、あるいは仮定から起こした行動は決して無駄にはなりません。
今、まさにお母さんと喧嘩をしている最中だとしてふと「目の前でこうして話している母が明日死ぬとしたら、私は今から口に出す言葉を言うか」と自問すること。
これを行い、それを許す(赦す)ことで、関係性は必ず良くなっていきますよ。
是非、一度お試しあれ。
さて
ところで、僕のお母さんは二年前の四月に亡くなりました。
恐れながら、僕自身と母との関係性がどうだったかと言えば、ま自分で言うのは何ですがとても良好な関係が築けていたのではないかと自負しています。(相手がどう思っていたかは聞けずじまい笑)
それはなぜかと言うとその数年前には私の父が亡くなっているから、だと思います。
父が亡くなっているから、目の前の母も必ずどこかのタイミングで死ぬ、と。
だから懸命に今を楽しむ、今を生きる、相手のためを思って行動する、共時性を共有する、と。
ま、長々と書きましたが(ランタンの静かな火を見ていたらずっと書いてしまっていた笑)、そんなこんなで、今日は母の三回忌です。
会社には有給を申請し、お休みを頂きました。
三回忌が終わったら母があの世で喜んで笑い転げるくらいに、夜は盛大に呑みたいと思います。笑
明日仕事だけど〜笑


0 件のコメント:
コメントを投稿